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日暮れと大雨で芭蕉達が三日滞在した、旧有路家住宅(封人の家)。現在の山形県最上町にて。
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同じく封人の家にて。ここで芭蕉が詠んだ句は「蚤虱(のみしらみ) 馬の尿(しと)する枕もと」という、一風変わった
ものでした。
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同じく封人の家のご座敷。ここでは実際に火がくべられていました。
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同じくご座敷の薪と火。
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芭蕉達が怖い思いをしながら越えた、「おくのほそ道」最大の難所・山刀伐峠(なたぎりとうげ)。その峠の山頂に建てら
れた石碑。
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同じく山刀伐峠の石碑。ここに至る道は車一台がやっと通れるほどの狭いもので、ひたすら曲がりくねった道路と鬱蒼とし
たブナ林により、今でも怖い雰囲気が漂っていました。
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峠の途中にあった道案内の碑。芭蕉達は現在の舗装路よりも更に細い、道なき道を辿ったとのことで、その痕跡にこうした
碑が建っています。
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山刀伐峠を抜けて、尾花沢へと降りてきたあたりの田園。山形県尾花沢市の市野々にて。
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同じく市野々地区で見かけた半鐘。
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尾花沢市の芭蕉清風歴史資料館入口にある芭蕉像。
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同じく清風歴史資料館にて。芭蕉は地元の俳人であるこの清風宅に逗留し、歌会や歌仙の編集をしていました。
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清風宅と同じく、芭蕉が尾花沢で逗留した養泉寺。
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養泉寺にある「涼し塚」。ここで芭蕉が読んだ句は「涼しさを わが宿にしてねまるなり」。
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芭蕉の句碑に写り込んだ養泉寺。
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養泉寺近くから見た出羽三山。右に羽黒山、中央のひときわ高い山が月山かと。
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最後は同じく養泉寺近くでの夕暮れ。
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