尾花沢にて

 高山森々(し んしん)として一鳥声聞かず、木の下闇茂り合ひて夜行くがごとし。(中略)水を渡り、岩に
つまづいて、肌に冷たき汗を流して、最上の庄に出づ。
 尾花沢にて清風といふものを尋ぬ。かれは富める者なれども、志卑しからず。都にもをりをり通ひて、
さすがに旅の情をも知りたければ、日ごろとどめて、長途のいたはり、さまざまにもてなしはべる。
                                                  (「おくのほそ道」より)

初秋に最上町を経て尾花沢を訪ねる。空模様悪く、途上の山刀伐峠は深閑鬱蒼としてかの書 のごとき
心細さあり。尾花沢にて見えた青空に、人心地ついた想いをせん。夏の名残あれど田は黄金に輝き、
素朴なる景色に郷愁もまた覚ゆ。




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日暮れと大雨で芭蕉達が三日滞在した、旧有路家住宅(封人の家)。現在の山形県最上町にて。


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同じく封人の家にて。ここで芭蕉が詠んだ句は「蚤虱(のみしらみ) 馬の尿(しと)する枕もと」という、一風変わった ものでした。


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同じく封人の家のご座敷。ここでは実際に火がくべられていました。


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同じくご座敷の薪と火。


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芭蕉達が怖い思いをしながら越えた、「おくのほそ道」最大の難所・山刀伐峠(なたぎりとうげ)。その峠の山頂に建てら れた石碑。


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同じく山刀伐峠の石碑。ここに至る道は車一台がやっと通れるほどの狭いもので、ひたすら曲がりくねった道路と鬱蒼とし たブナ林により、今でも怖い雰囲気が漂っていました。


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峠の途中にあった道案内の碑。芭蕉達は現在の舗装路よりも更に細い、道なき道を辿ったとのことで、その痕跡にこうした 碑が建っています。


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山刀伐峠を抜けて、尾花沢へと降りてきたあたりの田園。山形県尾花沢市の市野々にて。


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同じく市野々地区で見かけた半鐘。


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尾花沢市の芭蕉清風歴史資料館入口にある芭蕉像。


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同じく清風歴史資料館にて。芭蕉は地元の俳人であるこの清風宅に逗留し、歌会や歌仙の編集をしていました。


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清風宅と同じく、芭蕉が尾花沢で逗留した養泉寺。


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養泉寺にある「涼し塚」。ここで芭蕉が読んだ句は「涼しさを わが宿にしてねまるなり」。


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芭蕉の句碑に写り込んだ養泉寺。


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養泉寺近くから見た出羽三山。右に羽黒山、中央のひときわ高い山が月山かと。


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最後は同じく養泉寺近くでの夕暮れ。









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