登米にて
明くればまた知 らぬ道迷ひ行く。袖の渡り、尾ぶちの牧、真野の萱原などよそ目に見て、遙かなる堤を
行く。心細き長沼に添うて、戸伊摩(といま)といふ所に一宿して、平泉に至る。
(「おくのほそ道」より)
梅雨の晴れ間に登米(戸伊摩)を尋ねん。今も尚二百余年の面影を残す町は、蒼穹の下に懐 旧なる
趣を残してあり。空に伸びる飛行機雲のみが、歴史と現在(いま)とを繋ぐ標(しるべ)にも思われん。
「おくのほそ道」らしくアヤメ葺(ふ)く季節となったので、花菖蒲の写真を一枚。登米市「花菖蒲の郷公園」にて。
「おくのほそ道」に『心細き長沼』とある北上川下流にて、北上大堰のあたりにいた白い鳥。現在の石巻市成田付近。尚、 芭蕉達が見た長沼は現在河川の拡張工事により北上川の一部となっています。
登米市の登米大橋から見た北上川。
芭蕉一宿の地、登米市登米町(とめしとよままち)。ここは武家屋敷や明治時代の建築物が残っているため、宮城の明治村 と呼ばれています。そのなかの一つ、旧尋常小学校跡。
同じく尋常小学校跡にて。
古い街並みの残る、登米町の商店街。
古い蔵の壁。
江戸時代の武家屋敷を今に伝える、春蘭亭(しゅんらんてい)。
北上川の堤防にて。
登米町の夕暮れ。
最後は登米市の黄昏。
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