「……よろしく」
それだけ言うケインだったが、ミリは一層にこにことして小さな手を掲げた。握
手のつもりなのだろう。ケインは黙ってそのぷにぷにとする手を掴んだ。白い歯
を覗かせるその口から、囁くような笑い声が漏れたと思ったのは気のせいだろ
うか。
「それでしたら今日の食事は私の奢りということにしたいのですけど〜」
その頃になって、ようやく衣服を整えたアリアがカウンターの奥から姿を見せた。
「本当に助かりました〜」
心底感謝するように、アリアは頭を下げた。
「だが……分からないな。何故オレが助けると思った?あんな合図をしたところ
で、オレが見捨てる可能性だってあったはずだ」
ケインにとって最も理解不能なのはそこだった。
「そんなことありませんわ。あなたはいい人ですもの」
「馬鹿な……」
あまりに的はずれな感想に、ケインは本当に呆れ返った。
「今日初めて会った、それもただの通りすがりの客を何故そこまで信用できる?」
本気で言っているのだろうか、そう疑いたくなった。もしそうだとすれば、このアリ
アという女性はよほどのお人好しだ。よくも今までこの店を存続させてこられたも
のだと思う。
だが、同時に疑問はもう一つあった。この女性はケインの殺し屋としての腕を
見抜いていた。でなければあの場面で合図を送ってくるはずがない。仮にあそ
こでアリアが反撃に出ても、ケインのプロとしての助けがなければ失敗に終わ
っていたのだから。
あの動物のような耳や尻尾といい、つくづく不思議な女性だった。けれどもア
リアはそんなケインの疑問などお構いなしに優しく微笑んだ。
「初めて?……そう、確かにそうですよね。でも私にはすぐに分かりましたよ」
それはどこか含みを持って響いた。主語の欠けたその言葉が、ケインには妙
に引っかかった。一体、アリアはケインの何を分かったというのだろう。
「それともう一つ、あなたのその腕を見込んでお願いがあるんですけど〜」
「?」
追い討ちをかけるように、アリアは言った。
「もし今これといったお仕事をしていないのでしたら、あなたにこのお店の用心
棒をしてもらいたいのです」
「何だって!?」
さすがのケインも、これには返す言葉を失った。
「本気で言ってるのか、あんた?」
かろうじてそう聞き返す。正気の沙汰とは思えなかった。お人好しにも程があ
る。一瞬ケインはこの女性の知性を疑いたくなった。
「はい〜」
だが、アリアはどこまでものほほんと頷いた。
「信じられん。どう考えたってまともじゃない。どうしてそこまで信用できるんだ?
なぁ、爺さん、あんたもそう思うだろ」
慌てて話を向けるケインだったが、
「いいや、儂はアリアさんがそうしたいというなら反対せんよ」
老人はさも当然というように首を振った。その隣で、ミリもにこにこしながら頷
いていた。
「あんたらみんなおかしいんじゃないか?甘い、甘すぎる……」
「じゃあその分、私たちを守って下さいませんか?あなたのその腕で」
「……」
あまりにも無謀な提案に、ケインはただ呆然と立ち尽くすしかなかった。
「私の名はアリア・キサラギ。よろしくお願いしますね、ケインさん」
満面の笑顔で、その女性はそう挨拶した。
真星暦三七一年。人々の営みは続いてゆく……
(了)
(1999 11 20 著) (2003 3 10 改訂)
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