と、言う訳にはいかない。物語はここから始まるのだ。
 島原高雄が意識を取り戻した時、眼前には大勢の人が群れをなしていた。ぐるりと取り
囲むように立ち、一様に興味深げに島原の挙動を見つめている。無論島原には何が何や
ら解らなかったが、次第に意識が鮮明化するにつれ、自分は事故で死んだのではなかっ
たのかと思い当たった。
 するとここは死後の世界?しかし島原はそのような世界があるとは信じていなかった。
丹波哲○のような信念はかけらもないのだ。
 だとすれば、何らかの偶然で自分は死をまぬがれ、群衆に見守られながら意識が戻っ
たと考える方が妥当であろう。不思議と身体に痛みはないし、外傷も見あたらない。動け
そうだと判断して、島原は上体を起こした。
「へっ……???」
だが、視界に飛び込んできた景色に島原は違和感を覚えた。東京特有の超高層ビル群
があとかたもなく消えていた。すっきりと開けた景色の中、空はやけに澄んで遙か彼方ま
で広がっており、その真ん中で輝く太陽は熱帯地方を思わせる強い陽射しを放っていた。
 おまけに彼を取り囲む連中の服装がどうも違うのだ。皆ヨーロッパの中世以前のファッ
ション感覚である。全員が前衛的美的センスの持ち主とも、ルネッサンス的回帰現象を
起こしているとも思えなかった。それともどこかの演劇集団なのだろうか?
 手に触れる地面の感触に下方へと目を落とすと、そこは石畳であり、彼のいる場所は
どう見ても西洋の城か砦の一角であった。これらの情報を総合してみると、つまりここは
……
「は、ははは……」
ありえない事態に、島原は思考が混乱して引きつった笑いを起こした。
 と、突然ファンファーレのような音楽が聞こえてきた。それに合わせるように、群衆が一
斉に歓声を上げた。
「どーもどーも、おめでとうございます」
その人混みの中から、中年のチョビ髭を生やした小柄な男が大阪商人よろしく揉み手を
しながら近付いてきた。
「あなた様がこの異界へこられた一万人目の方でございます」
「は……???」
ますますもって訳が解らない。
「ささ、こちらへ。記念品を贈呈いたしますので」
「ち、ちょっと待ってくれ。一体何がどうしたってんだ?」
が、中年チョビ髭男は有無を言わさず島原をぐいぐいと引き立てていった。まるでどこぞ
のイベント会場のような、いかにも俄作りの舞台にそのまま上げられてしまう。
「おめでとうございます」
ミスなんとか的美人が花束を差し出した。
「あ、どうも」
つられて島原はそれを受け取った。あれよあれよという間に記念品を貰い、記念写真ま
で撮られてしまった。
「どうですか、今の気分は?」
などとインタビュアーらしい男に質問され、島原も調子づいてしまう。
「うれしいですねぇ、まさかこんな幸運に恵まれるなんて……じゃない!何なんだ、これは。
ここは一体どこだ?」
ハッと理性を取り戻して島原は叫んだ。が、一同はその疑問が不思議とばかりにキョトン
とし、さきほどの中年チョビ髭男がさも当然の如く言うには、
「ですから、ここは異界ですよ」
とのことだが、
「いかい?」
島原には全く理解できなかった。
「ええ、異界です」
「もー『いーかい』?」
「ちょっと違いますねぇ」
「どこが痛いんだ、『胃かい』?」
「う〜ん、惜しい」
「じゃあ胃カイヨウ」
「そんな洒落はイカイヨウ……」
「それを言うなら胃肝臓(いかんぞう)!」
さ、寒すぎる……もはや泥沼であった。
「ですからあなた方の世界から見ればここが異世界な訳ですな。ま、私共から見ればあ
なた方の世界の方が異界なんですがね。なべて概念とは相対的なもので……」
「ははは……俺、SFやファンタジーって苦手なんだ。じゃ、ごめん」
島原はその場から逃げようとしたが、あっさりと周りの人々に取り押さえられてしまった。
「やめてくれぇっ。俺はコチコチの現実主義者なんだ。こんなお伽噺みたいな世界は信
じないぞっっ!」
「これが『現実』なんですよ」
中年チョビ髭男が釘を刺した。
「冗談じゃない。バイス○ン・ウ○ルとでも言うのか?これならあの世の方がましだ!」 
「ですから私共にとってはこれが現実なのです。いい加減認知しなさい」
「するもんかっ。こんな現実、否定してやる。誰が信じるものかっっっ!!!」
島原はそう叫ぶしかなかった。が、心の中で何かが崩れてゆくのを感じてもいた。

                                                 (了)



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