おもひで
だいありーの過去ログです。
11/03/25
3月11日にマグニチュード9というかつてない大地震が発生。私の地元でも震度6弱という強
い揺れが襲い、それにより五日間停電が続きました。東北・関東の沿岸部では大津波により甚
大な被害が出て、震災から2週間を過ぎた今も多くの避難民や行方不明者がいます。ライフラ
インがいまだ復旧していない地域、更には福島原発の事故で退避せざるをえない地域があった
りするなか、私自身は比較的早く日常生活に戻れたと実感するのですが、まだ以前のようにお
気楽に文章を書く心境には至れずにいるので、少しずつ当サイトの更新を再開していきたいと
思っています。
地震当日は様々な幸運が重なって、個人的には救われた結果となりました。地震発生の1時
間前(!)にガソリンを給油していたため、移動手段としてその後も車が使えたこと。地震発生
の瞬間は車を運転していて、突如もの凄い横揺れに見舞われて思いきり蛇行したのですが、周
囲に走っている車がいなかったためすぐさま停車して揺れが収まるのを待てたこと(+屋内にい
なかったので落下物で怪我をすることもありませんでした)。場所が自宅に近かったので、すぐ
に帰宅出来たこと。母も隣の市へ外出中でしたが、親切なタクシーに助けられて数時間で戻っ
てこれたこと、等々。
そして震災当日から停電のなかでの生活が五日続くのですけども、ガス・水道は生きていた
のと灯油がある程度あったので、とりあえず食事と暖房は確保することが出来ました(水道は二
日目の午後から断水しましたが、三日目の夜に復旧)。ホコリを被っていた旧式の反射式ストー
ブを引っ張り出し、懐中電灯と蝋燭・ラジオも用意。米はそれなりにストックしていたので、圧力
鍋でご飯を炊いて食事をすることに。気温の低さが逆に幸いして、停電しても冷蔵庫が保冷を
維持し続けたのも食材の保存に役立ちました。あと一家揃って珈琲中毒なので(笑)、珈琲だけ
はやたらとあったり。停電中でも毎朝ドリップで淹れて飲んでいたのは贅沢すぎ?それと重要な
のは、トイレが電気を使わない旧式であったことです。冗談ではなく、このおかげで最低限の生
活が可能だったと言えます。
情報源はラジオのみ(新聞は届かず、携帯は充電切れでワンセグ使えず)。それを頼りに翌
日から車を走らせて、食料や生活用品を確保する日々。地元の大型スーパーでは長蛇の列が
出来ていて、限られた商品の店頭販売に2時間待ちといった状況でしたが、それでも買えただ
けかなりマシだったと今にしてみれば思えます。夕食を摂ったら日暮れと共に寝て、夜明けと共
に目覚めるという実に健康的な生活サイクルでしたけど(苦笑)、普段いかに電気に頼り切って
いるか思い知らされた数日でもありました。
三日後、市の一部で電気が復旧したと聞いてauショップに携帯の充電をしに行き(これまた偶
然にも、前日スーパーの行列で並んでいる時前方にauの営業マンがいて、電気が復旧したら充
電サービスをしますと言っていたので)、店内のテレビで初めて地震当日の映像を見て呆然。す
さまじい大津波の様子に言葉を失ってしまいました。それまではラジオの音声だけで状況を聴
いていたので、沿岸部の被害を具体的に知らずにいたのは、停電生活で気分が沈んでいる間
はある意味良かったのかもしれません。
五日目の夜に電気が復旧し、それ以降徐々に生活は元に戻りつつありますが、まだ食料品
の一部は品切れが続き、ガソリン・灯油は入手困難が続いています。被災地の復興を含め、多
くの方々がいち早くこれまでの日常を取り戻せることを願ってやみません。そして今回の震災で
亡くなられた方々のご冥福を心からお祈りします。
それと個人的に衝撃が大きかったのは、今回大津波で被災した地域に私が好んで写真撮影
をしていた場所が多く含まれていたことです。幸か不幸か気仙沼や南三陸町は先月冬景色の
撮影で訪れたばかり。膨大な死者を出した仙台の若林区や宮城野区の海岸沿いは去年「仙臺
のすたるじぃ」で撮影した場所。大船渡・陸前高田も去年「鉄道のある風景」等で訪れていたりし
ます。更に石巻や牡鹿半島、奥松島、七ヶ浜はこの数年頻繁に撮っている地域なので、ラジオ
で地名が出ただけでも「あの場所だ」とすぐ景色を思い出してしまうのが余計やるせないです。
継続中のテーマを含め、写真撮影は当面の間凍結となりそうですが(実は今月から“早春の海”
をテーマに七ヶ浜を再度撮ろうと計画していたところでした)、撮り溜めていた分に関しては後日
公開したいと考えています。
11/03/30
震災から19日が経過。食料は乳製品や納豆を除くと随分と買いやすくなりましたが(魚は種
類によってまだ品不足ですけど)、いまだ灯油が入手困難な状況が続いています。週間天気予
報を見ると4月に入っても雪が降るようなので、灯油が切れるのはかなり痛いです。一方でガソ
リンは連日スタンドで給油待ちの長蛇の列が出来ていたものの、今週に入ってから改善されつ
つある感じでしょうか。それでもやはり不足している印象は否めません。福島原発の事故は収
束する気配が見えませんし、4月に入っても様々な混乱が続きそうです。
そんな中、3ヶ月ぷりに「ふぉとふぉと」更新。1月・2月に撮っていた冬景色をまとめてみまし
た。大震災前に撮影が終了していたのでテーマとしてはちゃんと完結したのですが、欲を言えば
春を予感させるような写真も最後に撮っておきたかったかも。
この冬は大雪とガソリン高騰のダブルパンチで、山形まで足を延ばして撮っていた去年と比べ
ると条件がシビアな感じでした。更には去年と違うアプローチをしてみたいと思いつつもなかな
かイメージが浮かばず、実際の撮影に着手したのが遅めでもありました。とりあえず「仙臺のす
たるじぃ」で身につけた空間の切り取り方を持ち込んで、全景よりも部分で勝負してみようと意
識。つい広角で全体を入れたくなる衝動を抑えつつ(笑)、その中でどれだけ冬のイメージを表
現出来るか試行錯誤してみました。もっとも結局はいつも通り広角寄りの写真も割とあったりす
るのですが。方向性としては一昨年の「冬の重さ」、去年の「冬色流転」の延長ですが、より単色
イメージで統一するため大半の写真で彩度落としをして仕上げてみました。これまでより一層ダ
ークな雰囲気になっていますが、先日の震災で気分が沈んでいることの反映ではなく(苦笑)、
元々こういうまとめ方をする予定でした。
撮影は近場を中心にしながらも、新規には岩手の豪雪地帯・西和賀町の旧沢内村へ足を運
んでみました。今年は特に雪が多いとニュースで報じられていたので、軽自動車で出かけるの
は無謀かとも思ったのですが、逆に除雪がしっかりされていたので運転には支障がありません
でした。代わりに路肩へと寄せられた雪が凄いことに。自分の身長以上にうずたかく積まれた
雪を見るのは、ちょっと驚きでした。同じ岩手と言っても積雪のレベルが違うと実感。てか錦秋
湖近辺までは晴れていたのに、沢内に入ったら急に天気が荒れたのでここだけ気候が違うん
じゃないかと思ってしまいました。
そして先月は冬景色を求めて宮城県沿岸の気仙沼や南三陸町を訪れたのですが、一ヶ月後
には大津波でその一帯が甚大な被害を受けることに。自分が見た風景と、テレビで毎日のよう
に報じられている壊滅的な景色を比べるにつけ、震災のすさまじさが感じられてやるせないで
す。
ともかくも、今回は題して「鈍色の冬」。実際の鈍色は濃い灰色ですが、イメージ的な命名とい
うことで。
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