おもひで

だいありーの過去ログです。

21/03/03

 昨日は強風が吹き荒れて、またも冬の嵐に。今季はとにかく異常気象が多かったですけど、もう
これ以上何もないことを願いたいものです。ちなみに今月の写真は奥州市で撮った焼石岳です。
1月は大雪のため市内から全然出ることができず、2月も終わり近くになってようやく近隣の町へ
出かけられるようになりました。

 東芝のテレビ部門が「TVS REGZA株式会社」に商号変更。なんとなく松下がパナソニックになっ
た時のことを思い出しました。それにしても、記事のなかで「ハイセンスが95%、東芝が5%の株
式構成」とあって改めて実質的には中国企業なのだと実感させられました。
 そう言えばそろそろ各社ともテレビの新モデルを発表する頃合いですけども、まだどのメーカー
も発表していないのは新型コロナの影響なのか、はたまたオリンピックが開催されるかどうか様
子見してのことなのか、どっちなんでしょう。
 https://www.phileweb.com/news/d-av/202103/01/52197.html

 「ウマ娘」のソシャゲはアプリ部門の売り上げ1位をキープしていて、記録的な人気になっている
とか。ただ昨日からスタートした初の限定イベントが、イベント限定カードを全て入手しようとすると
160周以上周回プレイする必要があるそうで、それを聞いた私は早くもプレイ意欲が減退していた
り。いまだ育成はバッドエンド続きですし、片手間で気軽にプレイするには不向きのゲームに思え
ます。この限定イベントでプレイヤーを振るい分けてガチ勢だけ残そうとしているのかは分かりま
せんが、私はそこまでがっつりプレイする気はないので今後はログイン勢になるかエンジョイ勢と
して時々プレイするか、そんな感じになりそうです。
 https://game.watch.impress.co.jp/docs/news/1309430.html


21/03/07

 昼間は早春の暖かさでも朝晩は冬の寒さの週末でした。

 8年ぶりに「はたらく魔王さま!」アニメ2期制作決定。いきなりどーした?と私も驚きました。アニ
メ版1期は結構面白くて私も好印象でしたが、ブルーレイがそこそこ売れたにも関わらず一向に2
期が作られる気配がないため、「何故か続編が作られないアニメ」として長いことネタにされてい
た作品でもありました。確か原作は既に完結していたように記憶していますが、原作の販促でもな
いのにアニメの続編が決まるのは少し意外です。電撃文庫もいよいよアニメ化の弾がなくなって
きたのでしょうか。
 https://www.famitsu.com/news/202103/06215584.html

 東日本大震災から10年を前に、三陸自動車道が仙台から宮古まで繋がりました。20数年前、
私が車で宮城県をドライブし始めた頃はまだ石巻の南端までしか開通していなくて、全線開通す
るのは何十年後になるのやらと思っていたものですけど、皮肉にも震災が工事を後押しして年度
内には仙台から八戸まで全線開通するとのこと。岩手県沿岸部はかつて陸の孤島と呼ばれてい
ましたが、これで交通の便が大幅に向上するのではと期待するところです(それでも過疎化は止
められない気もしますが)。
 https://kahoku.news/articles/20210306khn000045.html

 テレビで東日本大震災の話題を多く目にするようになって、今年もこの時期がやってきたと実感
します。あれから10年、震災を直接体験していない人々からすると年中行事の一つみたいなもの
で、とりあえずこの時期だけは防災を意識しましょうという建前に過ぎなくなっているのではないか
と、そんな懸念もあったりします。先月の大地震のように天災は本当に突然やってくるので、「明
日は我が身」という危機感は日頃から持ったほうが良いと個人的には思う次第です。


21/03/10

 この冬は晴れると強い風が吹き荒れるパターンが続いています。たまには穏やかな晴天になっ
てほしいものです。

 明日で東日本大震災から10年になります。「10年ひと昔」と言いますし、既に震災について記憶
の風化が始まっているとも報じられていて、遠い過去になりつつあるように感じなくもありません。
私は岩手と言っても内陸に住んでいるので津波の被害はなかったですが、震度6の揺れによる恐
怖は今も体感として残り続けています。なので、今回は震災当日の記憶を掘り起こして忘れないう
ちに僅かながらでも書き残しておこうと思います。
 10年前の3月11日、地震のあった時私はちょうど車を運転していました。突然車体がグニャグニ
ャと横に揺れ始めたので、私は最初車が故障したのかと思いました。慌てて車を路肩に止めても
揺れは収まらず、そこでやっと地震だと気づきました。あまりに揺れが激しいので車から出ること
も出来ず、「以前から言われていた大地震がついに来た」と感じたのを覚えています。あと自宅は
築数十年の古い家屋なので、もしかすると倒壊しているかもしれないと思ったものです。
 体感時間はかなり長かったもののやがて揺れは収まり、恐怖感を押さえつけながら再び車を運
転して自宅へ戻ってみると外観は一応無事に見えたので少しほっとしました。ただ玄関の扉は壊
れて開いた状態になっており、そこから見える屋内は色々なものが倒れて散乱していたので、元
通りに住めるのだろうかと次はそれが心配になりました。それと玄関が開いたままだったので、当
時飼っていたテミス(猫)は外に逃げてしまったのだろうと思ったのですが、動物の本能は凄いもの
で、屋内で一番頑丈であろう医療用ベッド(亡父が使っていたもの)の下に潜り込んで悲しげに鳴
いていました。よほど怖かったのかテミスは数日間私にぴったりくっついて離れようとせず、トイレ
に行く時までついてくるので引き離すのが一苦労でした。
 停電で家電が使えなかったので地震の規模が分からなかったのですが(カーラジオで断片的に
情報は聞けましたが)、夕方近くになってから携帯電話にワンセグ機能があることを思い出しテレ
ビを視聴。ようやく震災の大きさを知ることができました。岩手だけでなく東北全体で甚大な被害
があったこと、沿岸部で巨大な津波が発生したことに愕然としました。その後携帯ラジオを掘り出
して数日つけっ放しにしていたのてすが、そこから聞こえてくる津波被害の情報は声だけであるが
ゆえに想像力を倍加していっそう怖いと感じたものです。
 携帯電話を使ってこのホームページの掲示板にとりあえず無事であることを書き込み、日暮れ
頃に帰ってきた母と食事を摂って3月11日は終わりました。幸いなことに水道とガスは使えたの
で、ある程度普通に食事を作れたのはありがたかったです。夜になると真っ暗なので早めに寝る
しかなく、7時頃にはもう布団に入ったように思います。町明かりがないためいつもより星が沢山
見えたのが当日最後の記憶でしょうか。この状況から立ち直れるのかとか、電気がいつ復旧する
のかとか、そんな心配や恐怖でいっぱいのまま眠りにつきました。
 こうして書き連ねてみると10年たっても覚えていると感じるのですが、その後のことは既に曖昧
になりつつあます。経験者でさえこの有様なのですから、震災の記憶を風化させないためにはや
はり何かしら形として残してゆく必要があると改めて実感します。恐らく3月11日を過ぎるとテレビ
ではすっかり忘れたかのように震災について触れなくなるのでしょうが、「明日は我が身」であるこ
とは忘れないようにしなければならないと思います。


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