おもひで

だいありーの過去ログです。

21/10/24

 栗駒山の山頂も白く染まっ て、秋が深まってきました。

 「ブレンパワード」に続いて「ザブングル」もブルーレイBOX化決定。しかも発売は同じ3月。富野
ファンにとっては嬉しい悲鳴と同時に悩ましいところではないかと。ただ「ザブングル」はLDもDVD
も画質が悪くて評判が良くありませんでしたから、リマスターでどこまで向上しているか気になりま
す。
 https://www.sunrise-inc.co.jp/work/news.php?id=19234

 「Vガンダム」雑感の続き。ウッソにとって戦う理由はザンスカールのギロチンを止める目的も
あったのでしょうが、初恋の人であるカテジナを取り戻したいという欲求もかなりのウエイトを占め
ていたように感じます。そのカテジナが敵対し、あまつさえ自分を本気で殺そうとしているのですか
らウッソにしてみればこれ以上の強敵はいません。ウッソ個人の戦いとしては、カテジナこそがラ
スボスにふさわしい敵だったと言えます。
 そして以前書いたように、作品のテーマ的にもカテジナは歪んだ女性上位主義の象徴として描
かれていたので、物語の決着をつける相手はカガチやクロノクルではなくカテジナである必要が
あったのではないでしょうか。なによりエゴの果てにウッソにとって大切な人を何人も殺したカテジ
ナは、報いを受けるべき存在としてウッソに撃たれる必然があったように思います。シリーズのラ
スト、カテジナが多くのものを失いながらも生き残ったのは「死ぬことよりもつらい罰を与えたから」
と富野監督はインタビューで答えています。「Vガン」においてカテジナは、死んでいったキャラ達よ
りももっと大きな罪を犯した存在として罰を受け、去っていきました。
 「Vガンダム」のラストシーンはおよそロボットアニメらしくない描写で終わります。当時のインタビ
ューで富野監督が「自分は名作ものの監督がやれそうだ」と語っていたように、ガンダムシリーズ
としては異質な結末でした(後に「ターンA」でもっと異色な名エピローグを生み出しますが)。あえて
戦争の行く末に触れず、あくまでウッソ達が取り戻した日常を描写しつつも最後の最後にカテジナ
の顛末を入れてくるあたり、「Vガンダム」が持つ複雑な要素をひとつにまとめたうえで綺麗に着地
させていたと思います。事前に結末を知っていても初めてこのラストを見た時は感動しましたし、
ガンダムシリーズでもこういう作風がやれることに新たな可能性を感じました。もっとも次回作の
「Gガンダム」があまりにも明後日の方向へぶっ飛んでいたので、そんな可能性ですら小さなこと
に思えてしまうのですが(苦笑)。
 一方でシリーズを見終えた後も、作品を終始覆っていた狂気が違和感としてつきまとっていて、
テレビアニメで何故ここまで狂気に満ちた内容にしたのか気になり続けました(次回へ続く)。


21/10/27

 日暮れの早さもさることながら、朝起きてまだ外が薄暗いと冬が近づいていることを感じます。こ
うなるとなかなか爽やかな目覚めという気分にならないのが困りものです。

 今日は嬉しい話題と悲しい話題を一つずつ。まずは嬉しいニュース。富野監督が今年の文化功
労者に選出されました。国を挙げてクールジャパンと言いながらも目に見える形で盛り立てている
印象は薄い気がしていましたけど、多少なりともアニメも文化の一端として認めようとしているの
かなと、そんなことを思ったり。経済効果で言えばガンダム関連の売り上げって物凄いはずなの
ですが(去年の売上高は950億円!)、不思議とそういった方面でメディアに取り上げられることは
殆どなかったりするのが、アニメの社会的地位の低さを物語っている気がしなくもない?
 https://game.watch.impress.co.jp/docs/news/1361489.html

 次は悲しいニュース。漫画家の白土三平氏がお亡くなりになりました。享年89歳。しかも白土氏
が亡くなられた4日後に、弟で共に作画を担当していた岡本鉄二氏も亡くなられたとのこと。日本
の漫画史において手塚治虫氏と並んで多大な影響を後世に与えた御大の逝去に、これで本当に
昭和は遠くなってしまったと実感しました。虫の知らせだったのか数日前にたまたま「カムイ伝」を
読み返したのですが、まさかこんな訃報を聞くことになるとは。残念ながらこれで「カムイ伝」第三
部を読むことは永遠に叶わなくなりました。
 白土氏の漫画界における功績は多々ありますが、実は日本の漫画家でプロダクション制を始め
た最初の作家でもあったそうな。「カムイ伝」の頃には分業制が確立されていたため、月100ペー
ジ連載という今では考えられないようなことも可能だったとのこと。その後の漫画業界でのプロダ
クション制普及を考えると、貢献は大きかったと思えます。
 私は白土氏の全盛期にはまだ生まれていなかったので、名作の数々は後追いで読んだクチで
すが、小学生の頃初めて「忍者武芸帳」や「カムイ伝」に触れた時の衝撃はかなりのものがありま
した。特に「カムイ伝」のシビアで重層的な物語には圧倒され、私の人格形成に大きな影響を及
ぼしました。当時の単行本の広告には「ビジュアルは映画を凌ぎ、ストーリーは小説を超えた」と
いう仰々しいコピーが書かれていましたが、本当にそう感じていたものです。
 御大が去った今、やはり思い浮かぶのは「忍者武芸帳」の名台詞中の名台詞「われらは遠くか
ら来た。そして遠くまで行くのだ」ではないでしょうか。謹んでご冥福をお祈りします。
 https://game.watch.impress.co.jp/docs/news/1361392.html


21/10/31

 ハロウィンやら衆議院選挙やらと騒がしい10月末でしたが、期日前投票を済ませていた私はの
んびりとテレビで仙台の駅伝中継を見ていました(笑)。

 「Vガンダム」雑感の続き。「Vガン」制作中にスポンサーとの確執から鬱になっていったと富野監
督の自伝「ターンAの癒し」で語られていますが、番組企画の時点で既にギロチンやエンジェルハ
イロウといった設定は存在していたので、「Vガンダム」を覆っている狂気は監督自身が病んでいく
過程とは別問題だと思えます。元々は「F91」の続きをやるはずがスポンサーの意向で急遽別作
品になった経緯がありますけど、新興宗教による人民の支配という設定は既に「F91」の時からあ
りましたし(小説版に伏線として登場。後に「クロスボーンガンダム」に活かされます)、当時の富野
監督がこういった題材に興味を抱いていたことは確かです。
 では、こういった狂気すら感じられる設定の数々を何故テレビアニメでやろうとしたのでしょう
か。よく富野作品は10年早いと言われますが、「Vガン」もこの先の世界情勢を見据えたうえで設
定を練りこんでいたのは間違いないかと。悲しいことに地下鉄サリン事件は10年を待たず「Vガ
ン」の2年後に起きてしまいましたが、今なお続く宗教テロや地域紛争を顧みれば、冷戦後に起こ
りうるであろう悲劇を予見して「Vガン」を作ったと感じます。そしてそれは、バブルが崩壊した93年
という時代だからこそ作る必然があったようにも思います。
 私は中学・高校・大学と思春期をバブル期の中で過ごしましたが、今にすれば日本全体が根拠
のない楽観論に支配されていたと感じます。「なんとかなる」「やったもん勝ち」といった空気に包ま
れて、経済大国日本は盤石、金さえ稼げば誰もが人生の勝ち組になれると無邪気に信じることが
できた時代でした。
 ですが90年に入ったあたりから「本当にそうなのか?」と疑問符を投げかけるような作品が散見
され始めます。実相寺監督の「ウルトラQザ・ムービー」あたりは特に顕著で、土地買収に明け暮
れる日本人を痛烈に批判したうえで、ラストは人類を見限った人々が地球を捨てて宇宙へ旅立つ
という徹底的に救いのない映画でした。もっとも、皮肉なことにバブルだからこそ作れた映画でも
ありましたが。前年に公開された劇場版「パトレイバー」も、バブルに浮かれた東京の成れの果て
として廃墟の街並みを描いています。
 更に日本人に冷や水を浴びせたのは91年の湾岸戦争でした。テレビで幾度となく映し出された
映像は、東西冷戦が終わっても戦争は根絶しない事実と、現代兵器による戦闘の恐怖をイヤと
いうほど伝えました。この辺から、どうやら浮かれていたのは日本人だけで、世界は色々きな臭い
と徐々に人々が気付き始めたように思います。一方で、相も変わらずディスコのお立ち台で踊り
続ける人たちはいましたが(笑)。
 なので、「お前らいつまでもイケイケムードでいられると思うなよ」というカウンターパンチとして
「Vガンダム」を作る必然があったと個人的には思えます。「Vガン」を見返すと、バブル期に日本
が抱えていた様々な問題が内包されていると感じます。英才教育を詰め込むだけ詰め込まされ
た子供、いびつな恋愛観による愛憎、子供を正しい方向へ導くことを放棄した大人や老人達とい
ったように、「Vガン」を覆っている狂気とは当時の日本の写し鏡の結果だったのではないでしょう
か(次回ついに雑感最終回・・・の予定)。


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