「とりあえず、メシだな」
変わりばえしない景色を眺めながら、男はぼんやりとそれだけ呟いた。本当はこ
の先の予定を考える必要があるのだろうが、生活資金は充分すぎるほどあるの
で当分はぶらぶらしていても問題はなかった。政府もなく、無秩序が支配するこ
の星では、無論殺人を裁く法も存在しない。『やられたらやりかえす』、それが当
然の世界で殺し屋は大きな稼ぎ口だった。彼もまた、正確無比な殺しの腕で二
十代半ばにして裏の世界では名の通った殺し屋になっていた。望みもしない名
声と共に。乾いてゆく心とは裏腹に。
五感を研ぎ澄ませたまま、男は軽いまどろみに沈んだ。常に周囲の異常事態
に対応できるようにしておく、その習慣を保ちながら、彼は一時の休息に浸るの
だった。
男の名はケイン・マドリガル。冷たく無機質な瞳以外は、むしろどこか優しささ
え漂わせる風貌の青年であった。
車を走らせること半日。どこまでも続く砂漠の彼方に、ぽつりと小さな街が見え
てきた。この星の人口は恐ろしく少ない。都市と呼べるほどの密集地域もなく、
人々は僅かなオアシスを拠点として惑星上に点在していた。
「ようやくか」
しばしまどろみを貪っていたケインは、目的地への到着を告げるコールにシート
を起こした。いつものこととはいえ、空腹感がかなり高まっていた。食欲を優先
すべく、街はずれに車を停めたケインはまずレストランを捜した。
高層建築が全くといって存在しない街。メインストリートとおぼしき通りを見渡し
ても、殆どが二、三階建てのみすぼらしい家屋ばかりだった。行き交う人も乏し
い街の中を、ケインは時折目に入る看板に注目しながら進んだ。
「？……何だ、この店は？」
とある店らしき木造風の建物の前で、ケインは奇妙な表示に惹かれてふと足を
止めた。
「どこの言葉だ？」
その店の入り口には、古ぼけた木製の看板に妙に四角ばった文字でこうあしら
ってあった。
『猫々亭』
と。
「中国語か？」
かつて母星が幾つもの国と言葉に分かれていた時代。そのあまたある言語の一
つにそういう文字があったはずだと、ケインは聞きかじった知識を思い返して呟
いた。
「バー＆レストランとあるのだから、食い物の店なんだろう」
不思議な店名の上にそう書いてあるのを確認すると、ケインは大昔の西部劇に
でも出てきそうなデザインの、カウベルのついたドアをくぐった。
カランカラン……ドアの鈴が鳴った。足を踏み入れた店内は、板張りを模した
床と壁に木製の丸テーブルが二つ、奥のほうにこじんまりとしたカウンターとい
う内装だった。アンティーク調を売りにしたちょっとしたカフェバーと見える趣に、
ケインは食事のできる店だと判断した。
「いらっしゃいませ〜」
カウンターの奥から店員が姿を見せた。ウェイトレスだろうか。どこかシックなゆ
ったりめのロングスカートにエプロンをかけた女性がケインに声をかけてきた。
「あら……」
「？」
知り合いにでも似ていたのだろうか。女性は一瞬ケインをどこか懐かしげに見つ
めたが、すぐに何事もなかったかのように微笑んだ。
「あ、いえ……お席のほうへどうぞ〜」
可愛らしくもどこかのんびりとしたその声に勧められて、ケインは丸テーブルの一
つについた。それを見計らって、女性がタイミング良くメニューを差し出す。その
細く綺麗な手に視線が止まって、ケインは改めて二十歳前後と見えるウェイトレ
スを注視した。
腰まである流れるような黒髪を飾る赤いカチューシャ、黒目がちな瞳とは対称
的な白い肌、すらりと伸びた長身に栄える流麗なプロポーション。それらは鮮や
かな美しさを放っていながらも、けして男に媚びるような色気は帯びず、仄かな
女性の香りと優しげな雰囲気に包まれていた。
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