「あの〜、何か?」
「いや、別に」
今度はケインが言葉を濁した。ごまかすように目線をメニューに落とすと、料理
名の羅列を一瞥する。
「そうだな、とりあえず水と……ん、何だ、これは??」
視界に飛び込んできた見たことのない料理名に戸惑って、思わずケインの声が
うわずった。
「……『ギュードン』?どういう料理なんだ、これは?」
「『牛丼』、です。日本料理で、煮込んだビーフをライスの上にかけてあるんです」
ウェイトレスはこともなげにそう説明した。
「ニホン?……ジャパン?」
「はい〜」
疑問形のケインの口調に、女性はのほほんとした声で頷いた。
「ジャパン、か」
かつて母星において、一時は経済によって世界の大半を掌握しながらも政策の
失敗で他国に分割吸収されていった小国。かなり独自の文化を形成していたら
しいその国の名は、遠い過去の歴史に埋没し今では知る人は殆どいない。
「すると表の看板も日本語か?」
「はい。あれは『ねこねこてい』と読みます」
「ネコ?どういう意味なんだ?」
「キャットです。先代の店長がつけたんです」
「猫が好きだったのか?」
「そうですね〜」
「ふぅん……変わった店だな、ここは」
「よく言われます」
ケインの率直すぎる一言に、苦笑もせずウェイトレスは頷いた。
「それで、ご注文はどうなさいますか?」
「じゃあ、そのギュードンとやらを貰おう」
「はい。分かりました〜」
ぺこっとおじぎをすると、女性はカウンターの奥へと消えていった。
本当に不思議な店だとケインは思う。こんな変わったメニューをオーダーする
人がそうそういるのだろうか。他にも何やら見知らぬ料理名があったが、一応
見慣れた普通のメニューもあるようだった。未知の味への不安を覚え、ケイン
は今の注文に後悔し始めていた。
「はい、とりあえずお水です」
そう言われて視線を上げると、さきほどのウェイトレスがコップに注いだ水を運
んできたところだった。
「お料理のほうはもう少し待っていてくださいね」
身も軽やかに、女性はくるりと背を向けるとまた奥へと去っていった。ふわりと
なびくロングスカートの裾が鮮やかな残像を残して消える。
ケインは静かに水に口をつけた。殆ど雨の降らないこの星では、水は貴重品
だった。人々は地中深くを巡っている地下水を掘り出し、そこを拠点として街を
建設していった。街の生命は、まさに水の枯渇と直結していた。かつて母星を
死の星に変えた人類の科学力は、この荒れ果てた大地に緑を生むことはなか
った。
同じビーフならステーキにすべきだったかと迷いだした頃、奥の厨房の方か
ら美味しそうな香りと共に鼻歌が流れてきた。
溢れる想い銀河に馳せて
星の海を渡ったら
願いはいつか届きましょうか
夢の種子に望みを込めて
見知らぬ大地に蒔いたなら
想いはいつか咲きましょうか
声からするに恐らくさっきのウェイトレスだろう。ケインはその選曲センスに内
心苦笑した。『星渡りの歌』と呼ばれるその歌は、今から300年以上前、まだ
惑星移民華やかなりし頃に流行ったオールディズ・ソングだった。不安だらけ
の新たな星へ旅立つことに一縷の望みをかけ、自らの希望を託した、そんな
歌詞のはずだ。もはや憶えている人も少なく、今では老人たちの間でひっそり
と口ずさまれているその曲を、二十歳前後と見える女性が何故知っているの
かが不思議だった。ケインとて幼い頃自分を育ててくれた祖母が時折歌って
いたので知っているにすぎない。そうでなければ耳にすることなどないはずの
歌であった。
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