「それは……」
だが、この問いに対するアリアの答えはいつも決まっていた。
「ケインさんがいい人だからですわ」

 変わることのないセピア色の風景。色褪せ乾ききったこの星で、水は最も貴重
な生活基盤だった。
 この惑星上に作られた街にはある共通点があった。それは、水を掘り当てた地
点を中心にして建物が広がっているということだった。『猫々亭』のあるこのカルミ
ア・タウンも例外ではない。放射線状に伸びる街の中心には、昔ながらの井戸と
水汲み場があった。人々はここから大切な水を得、生きる糧としていた。
 アリアが材料の買い出しに出かけている間、ケインはぶらりとこの水汲み場に
立ち寄ってみた。とはいえ『猫々亭』自体は特別に水道管が引かれてあるので、
他の者のように水汲みを日課とする必要はない。それはこの星ではかなりの特
権を意味しているのだが、あの店が何故それを許されているのかは分からなか
った。もっともケインはその理由など興味なかったが。
 水汲み場にはかなりの人がその日の水を得ようと集まっていた。初めてこの街
を訪れた時はひどく寂れた街だと感じたものだったが、こうしてみると鄙びた感は
あってもそれなりに人々の数は多いと思えた。人が集まれば、そこには自然と会
話が生まれる。老若男女が文字通り井戸端会議をする様は、真星暦以前の旧世
紀と変わらぬ光景だった。
 その様子を漠然と眺めていたケインだったが、突如背後に気配を感じ取って身
構えた。反射的に銃を抜き相手に突き付ける。だがそこにいたのは、驚いて立ち
すくむミリだった。見慣れぬ黒光りの銃に怯えて、涙目でいやいやと首を振る。
「……済まない」
ケインはそれだけ言って銃を懐に収めた。凶器が見えなくなると、ようやくミリは
安心したように顔を綻ばせた。いつもの人懐っこい笑みを見せてケインの袖にし
がみつく。『猫々亭』での一件以来、少女は何故かケインに懐いていた。
「水を汲みに来たのか?」
小さな手には余る大きさのバケツを目にして、ケインは尋ねた。ミリはうんうんと
笑顔のまま頷いた。最初ケインはこの少女が喋れないものだと思っていた。だ
がアリアの話だとそうではないらしい。ひどく無口なだけなのだそうだが、ケイン
は未だ少女が声を発するのを耳にしたことはなかった。
 ミリは蛇口の所まで行くと、持ってきたバケツに水を汲み始めた。使い古され
たプラスティックのバケツに、見る間に水が張られてゆく。少女は溢れない加減
を見極めて蛇口を締めると、両手に力を込めて水いっぱいのバケツを抱えた。
 小さな身体全部を使ってバケツを運ぶミリの姿はどこか危なげでもあり、一方
で慣れているようでもあった。時折バケツを置き酸素マスクで空気を補給しては、
またバケツを持ってゆらゆらと身体を揺らしながら、すんでのところで水をこぼさ
ず広場から離れてゆく。
「持ってやろうか?」
ケインがそう提案したが、ミリは静かに首を振った。これが自分の大切な仕事な
のだと言わんばかりに。でもその一言が嬉しかったのだろう。少女は食いしばる
ような表情を緩めてにこ〜っとした。
「あらぁ、ケインさん、おはよー!」
その時、ふいに二人は掠れ気味の声に呼び止められた。視線を上げると、気怠
げな雰囲気を纏った女性が空のポリタンクを手に立ち止まっていた。
「キャメリィか」
それは『猫々亭』によく来る客の一人、キャメリィ・キャロルだった。腰まである亜
麻色の長い髪をはらりと顔にかけたその姿は、大きく胸のあいた服とあいまっ
て妖艶な美しさを放っていた。ケインより一つ年上だという彼女は、この街に唯
一ある娼館の娼婦だった。その色気のありすぎる顔立ちとすらりとしたプロポー
ションは、確かに男を惹き付けてやまないと見えた。だが職業に差別を持たない
ケインは、何等気にすることなくキャメリィと接していた。
「あんたも水汲みか」
「ええ。ねぇ、ケインさんもたまには店に顔出してよ。いっつもアリアさんのところ
でしか会えないなんて寂しいじゃないの。たっぷりサービスするからさ〜」
おどけるように、キャメリィはケインに擦り寄ってきた。それでもそこに男に媚び
る色はなかった。甘えるふりはあってもどこか爽やかさを感じさせるのは、彼女
の生来のあっけらかんとした性格に起因するらしい。その必要以上にべたべた
しない気質も、ケインがキャメリィに好感を抱く理由の一つだった。

次のページへ