「きっと彼の父親を殺したのも、そうする理由があったからだと思います。少なく
とも、私はそう信じていますわ」
そう断言して振り向いたアリアの笑顔は、ケインには聖母のように輝いて見えた。

 その頃、ダン少年は一人街はずれの廃棄物置き場に座り込んでいた。錆び付
いた廃棄物の山を背に、膝を抱えてうずくまる。自分の放った弾丸がケインをか
すりもしなかった悔しさ、どこまでも呑気そうな女性に変な同情をされたみじめさ、
それらがないまぜになって少年の心を責めていた。
 ふいに横合いから人影が伸びてきて、ダンは顔を上げた。見ると、ミリがにこ
にことして少年を見下ろしていた。
「なんだよ……」
さっきの店の前にいた女の子であることを思い出しながら、ダンはぶっきらぼう
に言った。その勢いにも負けず、ミリは無言で右腕を差し出した。その手には、
美味しそうな焼き色を見せるパンが握られていた。どうやら食べろということらし
い。
「いらねぇよ」
拗ねるように、ダンはそっぽを向いた。それでもミリは、少年の隣にちょこんと座
るとその鼻先にパンを近付けた。焼きたての香ばしい匂いが少年の鼻腔をくす
ぐる。
「お前だってあの男の仲間なんだろ。敵の施しなんて受けられるか」
あくまで拒むダンだったが、ミリはただ笑顔でパンを示すだけだった。
「………」
観念したように、ダンはパンを掴むと囓り付いた。口の中にイギリスパン特有の
歯ごたえと味が広がる。まだ暖かいそのパンは、バターをつけなくても充分美味
しかった。少年は貪ろうとするのを堪えながら、さも仕方なく食べている風を装っ
てパンを飲み込んでいった。
「お前、知ってるか?あの男は殺し屋なんだぞ」
しっかり全部食べ終わってから、ダンは自分と同い年くらいに見える女の子に諭
すように言った。
だがミリはふるふると、笑みを保ったまま首を振った。
「本当なんだぞ。お前だってそのうち殺されるぞ」
それでもミリは首を横に振り続けた。
「なんでだよ。あの女といい、なんであいつを信用してるんだよ!」
それが少年には信じられなかった。この街の連中はどうかしている、そう思った。
皮肉にもケインと同じように。
「お前等みんな間抜けだよ。どうなったって知らないぞ!」
奇妙な敗北感に襲われながら、ダンはそう反論するのが精一杯だった。ミリは姉
のような優しさを込めて少年の頭を撫でると、ぴょんと立ち上がって駆けていって
しまった。
「くそぉーっ!」
苛立ちのこもった少年の叫びが、廃棄物置き場に虚しく響いた。

 夕刻。少し賑わいを見せる『猫々亭』で、今日もグラスを傾けるロイ老人の姿が
カウンターにあった。その隣では、珍しくケインが相伴にあずかっていた。ゆっくり
とグラスの中のウイスキーをくゆらせながら静かに口を開く。
「爺さんも聞いているんだろ。オレの過去を」
「まあな」
「ならあのお人好しに言ってくれないか。こんな信用できない人間をいつまでもこ
こに置いておくなと」
老人はその言葉にちらとケインを見やった。
「確かにな……確かに儂はお前さんを信用してはおらん。だがアリアさんがお前
を信じると言ったのなら、儂は彼女を信じる。アリアさんの言葉に間違いはないか
らの」
「ふっ……随分と信頼しているんだな。崇拝していると言った方が正しいか」
皮肉めいたケインの口調に、老人は眉をしかめて低く呟いた。
「ふん。お前さんは何も知らんからそんなことが言えるのじゃ。見た目で判断する
でない。あの人はあんたが想像もつかないような苦しみと悲しみの中で生きてお
る。普通の人間が及びもつかないような絶望と共にな……」


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