「おはようございま〜……」
そこへ間延びしきった声と共にアリアが姿を見せたが、言い終わらないうちに
床板に足を引っかけて転びそうになった。すんでのところで手を壁について免
れる。
「あらら〜、こんなところに落とし穴が〜……」
だがアリアの頭はまだ目覚めていないようだった。意味不明なことを口走ると、
そのままぐにゃりと座り込んでしまう。
「全く……」
床に寝そべってしまいそうになるアリアを、ケインが何とか立たせてやる。何や
ら日に日に彼女の寝ぼけぶりがひどくなってゆく気がした。それだけケインを
信頼し安心しきっているのかもしれないが、彼にとってはいい迷惑だった。
「コーヒーは飲まないのか」
「あ〜、そうでした〜」
ふらふらしながら、アリアはサイフォンのところまで辿り着く。そしてのろのろと
した動作のままコーヒーをセットしていった。
 寝起きのアリアはいつもあの不思議な耳と尻尾を出したままだった。少女趣
味のパジャマからこぼれる尻尾がゆらゆら揺れるのを見ていると、ケインはつ
い触れてみたくなる衝動にかられた。だがそれがひどく禁忌なことのように思え
て、その好奇心を一人飲み込む。もしアリアの言う身の上話を信じることがで
きるとすれば、あの耳と尻尾が僅かな証拠なのかもしれない。人にして人では
ない、その印として……。

 用心棒といえども普段は単なる居候でしかないケインは、アリアが買い出し
に行っている間あてもなく街をぶらついていた。
 ふと小さな少女の影がケインの前を横切った。手桶に水を湛えたミリが、何
やら急ぎ足に行くのが見てとれた。
「?」
微かな好奇心から、ケインはその後を追いかけてみた。ミリは後ろを気にする
こともなく一心にある場所へと駆けていた。気配を殺して尾行するのはケイン
の得意とするところだが、その必要もなさそうであった。
 辿り着いたのは、中心街から少し離れたところにある荒れ地だった。民家も
途絶え、少女が一人赴くには寂しすぎる場所に思えた。だがミリはそんなこと
を気にする様子もなく、その一角にぺたりとしゃがんだ。見ると、乾ききった土
を小さなスコップで懸命に掘っているようだった。
「……何をしているんだ?」
それはケインならずとも疑問であった。だがそのまま眺めていると、ミリは一定
の深さになった穴に、上着のポケットから取り出した何かの種を蒔いていた。
「野菜か果物でも育てる気か?」
ケインは背後に近付くとそう声をかけた。驚いた顔で少女が振り返る。だが声
の主がケインと分かると、安心した様子で首を横に振った。
「違うのか。まさか花とか言うんじゃないだろうな」
それはこの星ではありえない話だった。水が極端に乏しいセピア・スターにお
いて、単なる鑑賞用の植物を育てるなど無意味でしかない。花が必要ならば
造花で充分である。好きこのんで食物以外のものに水を与えるなんて、およ
そ常識から逸脱していると言えた。
 けれども、ケインの懐疑的な問いに少女は嬉しそうに頷いた。
「馬鹿な。そんなことをして何の役に立つというんだ?」
アリアといい、この街の人はどこか変わっているとケインには思えた。恐らく
はこの事実を知った者のほぼ全員が、ミリの行為を無意味と笑うだろう。だ
が少女はそんなケインの呆れ顔を不思議そうに見上げるだけだった。
「花が欲しいなら造花でいいだろうに。何も貴重な水を費やしてまで植えるこ
とはないはずだ。ましてや、この荒れ地に花の咲く確立など……」
言いかけて、ケインはふと言葉を飲んだ。それは恐らくミリも分かりきってい
ることだろう。どんなに彼女が一所懸命に水を与えても、この土地はただス
ポンジのように全てを吸い取ってしまう。花が育つ可能性など初めからある
はずもなかった。それでも少女は種を蒔いているのだ。たとえそれがどんな
に徒労であっても。
 一瞬ミリはケインの指摘に悲しそうな顔をしたが、すぐに笑みを作って首を
振った。そうするであろうことは、ケインにも何となく想像がついていた。たと
えこの星の全ての人間がその可能性を否定し嘲笑しようとも、少女が花を育
てようとするのをやめるはずがないと。普段は無口でも、その胸の裡には強
くてまっすぐな意思を秘めている、ミリはそういう子だった。だからケインも、
無愛想ながら言葉を選ぶことにした。

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