「ま、やるだけやってみるんだな」
その声に、ミリは元気良く頷いた。たとえ無駄と知っていても何かを信じずには
いられない、そんな気持ちなのかもしれないとケインは考える。僅かな望みでも
すがらなければ生きていけない悲しい時代。せめて少女の小さな願いくらいは
摘まないでおこうとケインは柄にもなく思った。
 持ってきた手桶から静かに水を振り撒くと、ミリは満足そうににこにこと微笑ん
だ。その光景が、ケインにはどこか懐かしく見えた。ありうべかりし幼き日をそこ
に重ね合わせるかのように。
「見つけたぞ、ケイン・マドリガル!」
だが束の間の平穏はあっけなく破られた。やけに嗄れた男の声がケインの耳に
届いた。その一言で、相手の見当はついた。
「ゲイリィか」
振り向きもせずケインはそう言い当てた。ケインと同じく殺し屋を生業としている
男だ。どこか蛇を思わせる顔立ちをした、やけにひょろりとした風体の青年だっ
た。
「相変わらずお前の名声は聞いているぜ、ケインよ」
皮肉混じりの口調で、殺し屋ゲイリィ・ストールはケインの背中に語りかけた。
「ところで、一つ妙な噂を聞いたんだがな。いやそんなことはありえないと思うん
だが、万が一ってこともあるからな。一応確認しておこうと思ってお前を捜してい
たんだ」
「悪いが忙しいんだ。要件なら手短にしてくれ」
話の内容は予想がついたので、ケインはうんざりした様子で応じた。
「なぁに、簡単なことよ。ケイン、お前が殺し屋をやめたって噂、ありゃ嘘だよな」
「いや、本当だ」
ようやくケインはゲイリィに向き直った。冷めた視線で一蹴する。
「へへっ、冗談だよな。裏の世界じゃ『クール・アイのケイン』といや知らない者
はいない。そんなお前があっさり足を洗うなんて、あるはずがないぜ」
「さてな。オレはもともと気紛れなんだ。この世界にも飽きたからやめた、ただ
それだけのことさ」
どこまでもとぼけたケインの口振りに、ゲイリィは次第に怒りの色を見せ始め
た。
「おいおい、ふざけるなよ。トップの名を欲しいままにしてあっさり引退するなん
て、虫が良すぎるんじゃねぇか」
「別にそんなもの望んでやしない。勝手に一部の連中がそう思っているだけだ」
「それでも世間じゃお前がトップだということに変わりねぇんだよ」
ゲイリィの話には誇張があった。ケインは別段殺し屋世界のトップでも何でもな
い。ただ少しばかり裏の世界で名が通っていて、様々な噂が尾鰭をつけて飛び
交っているだけだ。そもそも誰がトップかなど、大会を開いて競った訳でもない
のだから分かるはずもなかった。だが眼前の男はケインの知名度が気に入ら
ない様子だった。
「何が言いたい?簡潔に言ってくれ」
そのケインの言葉に、とうとうゲイリィは癇癪を起こした。肩を震わせて叫び出
す。
「てめぇがNo,1のままじゃ納得がいかないって言ってんだよ!」
「ならお前がなればいいだろ。No,1とやらに」
以前から事ある毎に妙な対抗心を燃やす男だった。このままケインが身を引
くことが不満らしい。
「ふざけんな。貴様がこのまま足を洗ったらNo,1のままじゃねぇか!」
「じゃあどうしろと言うんだ、お前は?」
「殺し屋を続けろ。そして俺とどちらが一番か競うんだ」
「そしてお前がオレに勝つまでやめるなというのか。よしてくれ、そんなことをし
たらオレは死ぬまで引退できそうもない」
うんざりした表情でケインが手を振った。
「つまり何か?俺は一生貴様に勝てないとでも言いたいのか……」
「分かっているじゃないか。お互い限られた人生だ。有効に使おうぜ」
もうすっかり無関心といった様子で、ケインはゲイリィに背を向けた。
「馬鹿にするのもいい加減にしろ!ならてめぇをここで殺して俺がNo,1になっ
てやる!!」
言うなり、ゲイリィは銃を抜いた。間髪置かずに引き金を引く。だがケインの
ほうが早かった。瞬時の動作で放った弾は、ゲイリィの銃をあっさりとはじき
飛ばしていた。蛇のような男の発射した弾は、空の彼方へと消えていった。

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