アリアの見当違いな反応に、ケインはただうんざりするしかなかった。その光景
に、ロイ老人はグラスを傾けながら愉快そうに笑うのだった。
見上げた夜空にはこの星の衛星が二つ。母星の衛星にちなんで、それらはブ
ルームーン、レッドムーンと呼ばれていた。この二つはそれぞれの公転軌道が
交差するようにセピア・スターを巡っており、その影響で片方の月がもう一つの
背後に隠れる日があった。人々はブルームーンのみが見える日を吉、レッドム
ーンのみが見える日を不吉と考えていた。たとえそれが迷信と知っていても、そ
ういった信仰に頼りたくなるのが人というものらしい、とケインは月を見上げて思
う。だがそれを人の弱さだと一蹴する気はなかった。
「今夜は月が綺麗ですね〜」
閉店後の後片づけを終えたアリアが、エプロンで手をふきながら店の外へ顔を
見せた。
「そうだな……」
入り口のシャッターを下ろそうとしていたケインは、月明かりに惹かれてつい夜
空を仰ぎ続けていた。その隣に、アリアもそっと並ぶ。
客が引けた『猫々亭』はとたんに静かになる。そこには漠とした寂寥感があっ
た。ひっそりとした夜の空気の中、二人の存在だけが確かに息づいていた。
「そういや、ミリはいつも一人で帰っているな。親が迎えに来ることはないのか?」
思い出したようにケインが尋ねた。
「あら、そう言えばまだケインさんには話していませんでしたね」
「?」
「ミリちゃんの両親のことです」
「ミリの?」
ケインと同じように夜空を眺めながら、アリアは微かに頷くと静かに語りだした。
「はい……あの子の両親は二年前新たな仕事を探すためにこの街の外へ行き
ました。以来ミリちゃんは両親の帰りをお家で一人待ち続けています。でも、そ
れから一度もご両親から連絡はありません。留守の間の世話を頼まれた私に
も、その消息は分からないままです」
恐らく生きてはいまい、とケインには思えた。この星で長期の音信不通は死を
意味していた。
「あの子が自ら言葉を発しなくなったのは、両親が旅立ってまもなくのことです。
それまでは誰とでも良くお話をする、とても快活な子でした。でも二年前から今
のように変わってしまいました。多分、それがミリちゃんなりの自己防衛手段な
のだと私は思います」
「自己防衛?」
アリアの口から出た意外な言葉に、ケインは視線を彼女へと向けた。
「はい。言葉を交わすのを避けることで、必要以上に他人と関わらないで済み
ますから。自分を守るには、それが一番簡単な方法です」
「そうして笑顔だけを取り繕って、か」
「はい……」
ケインには少女の選んだ生き方が分かる気がした。彼もまた、ミリと同じくらい
の年には一人で生きてゆく強さを身につけなければならなかった。誰も信じな
ければ裏切られることもない。そして悲しい別れをすることも……ケインの脳
裡を幼年期の苦い記憶がよぎった。
「もしあの子の両親が戻ってこなかったら、その時は私がミリちゃんを引き取
るつもりです。ですが、たとえ私が家族を演じたとしても、あの子は多分ずっと
他人に心を閉ざしたままのような気がします」
「だろうな」
冷めた様子であっさりとケインは頷いた。
「それでいいのでしょうか。そんな生き方をして、あの子は幸せなのでしょうか」
穏やかな声の中に吐き出されるアリアの苦悩。だがケインの言葉はどこまで
も冷酷だった。
「さあな。それで本人が納得しているならそれでいいんじゃないのか。今のご時
世、他人のことまで心配している余裕はないはずだ。あんたもつくづくお人好し
だな。子供一人の面倒を見るなんて並大抵のことじゃないはずだろうに」
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