第11話 夢の記憶

 島原は無の中にいた。“無が存在する”という矛盾はこの際置いておく。とにかく島原は
無のただ中を何処へ行くともなく彷徨っていた。いや、漂っているという表現の方が正しい
のかもしれない。これから2ページ、あなたの目はあなたの体を離れてこの不思議な空間
の中に入っていくのですby石坂○二、と島原が思ったかどうかは定かではない。
「ここは……どこだ?」
島原のその質問自体が既に意味を失っていた。あたり一面何も存在しない深い虚無なの
だから。
 やがて、すうっと流れるように部下Bが現れた。驚く暇もないまま、島原は彼が口も開か
ずに語りかけるのを耳にした。
「あなたにはもう解っているはずです……いや、解っていなければならないんだ。あなたが
一番こだわっている虚構と現実の差、そんなものは始めからないってことを」
「???お前何言って……」
「何故こだわるのです?現実なんて所詮一つの認識の仕方でしかないというのに……そ
う、ここだって現実以外の何物でもないはずです」
「おい、何を言ってるのかさっぱり……」
そう問いかけようとする島原の背後に、いつの間にかあゆさんが立っていた。
「それでもこだわらずにはいられなかったんですよね。それが、あなたの存在理由なので
しょうから」
「あゆさん……だけどここには何もない。無が現実だなんてことがあるのかい?」
「あなたはとうに気付いているはずです。ただ認めたくないだけ……」
あゆさんの瞳から涙が光となって散った。何が悲しいのか、島原には見当もつかなかっ
た。
「全ては、あなた自身の裡に……」
そう呟いて、あゆさんは顔を伏せた。
「俺の中に、全てが?何の全てだっていうんだ?」
だがあゆさんは答えなかった。
「ところで知っていますか?」
島原を見据えていた部下Bは、突然ニヤリとした。
「何を?」
「夢の中で落ちると目が覚めるんやで〜」
何故に関西弁?と思う間もなく、島原の身体は落下を開始していた。頭上遠くであゆさ
んが「責任とってね」と言ったように聞こえたが、気のせいかもしれない。
「おわぁぁぁぁ〜〜〜〜」
その島原の叫びも、無の中へかき消されていった。次の瞬間、空間そのものが消失し
た。真の無へと、全てが分解されてゆく……

 目が覚めた時、視界には夜空があった。
「……ん?何だったっけ?」
島原は今しがた見た夢の内容を全て忘れていた。何か大切なことを暗示していた気が
したのだが。
「あれ?な〜んか大事なことがあったような……ま、いっか」
そのこだわりもすぐに消え去った。寝袋から腕を抜くと、頭の後ろで組んで空を見つめ
る。視線を投げた先には、珍しく月が浮かんでいた。
「月があるってことは、ここはやっぱり同じ世界だよなぁ」
改めて島原はそう思った。月の表面の模様が髑髏マークに見えなくもなかったが、それ
でも見慣れた月そのものであると感じられた。
 ここが本当に異界なのかどうか、島原は未だに懐疑的だった。けれどもその一方で、
今まで出会った人々の存在にこの世界の実在性を認めざるをえないのも事実だった。
ならばここは一体何処なのか、島原の疑問は拡大する一方であった。
『あなたはとうに気付いているはずです。ただ認めたくないだけ……』
その言葉がふとよぎり、島原はいつそれを聞いたのだろうと訝しがった。確かに誰かが
言ったように思うのだが……。
 その時、囁くような部下Bの声が微風に乗って流れてきた。
「……だから私の方が頼りになるって。保証するよ」
「何だ?」
島原は寝袋から抜け出すと声のする方へ近付いてみた。星明かりの下、部下Bとあゆ
さんが肩を並べて座っていた。
「あんな奴がホントに救世主だと思っているのか?ありゃただのアホだよ」
あのヤロ〜、と島原は怒りがこみ上げてきた。今までどこか怪しいと思っていたが、や
はり猫を被っていやがった!これが部下Bの本性だったのだ。
「そんな……あの人は救世主です。あたし、信じています」
どんな時でもあゆさんは島原の味方であった。それだけで島原は嬉しくなった。だが部
下Bの毒舌はさらにエスカレートした。
「そんな訳ないって。あいつは単なるスケベな行き当たりばったり野郎だ。それに知っ
てるか?実はあいつって×××が△△△で、さらに○○○が※※※……」
「あ、後ろ……」
あゆさんの指摘に、部下Bはぎょっとして固まった。脂汗を流しながらおそるおそる振
り向くと、憤怒の形相で全身から真っ赤なオーラを立ち上らせている島原がいた。
「あ゛……」
瞬時にして部下Bの顔から血の気が引いた。
「貴様〜っ、俺が寝ている隙にあゆさんを口説こうとしたなっっっ!!!」
「じょ、冗談ですよ冗談。やだな〜、ちょっとお茶目しただけじゃないですかぁ〜」
「ぬかせっっっ!」
哀れ、部下Bは電気アンマの刑となった。続けざまゴーモン技をかけられ、最後は簀
巻きにされて近くにあった枯れ木に吊された。
「一晩そこで頭を冷やしていろっっ……あ、あゆさん」
部下Bに宣告した島原は、あゆさんに向き直ると、
「俺は決して×××が△△△なんてことはないからね。ちゃんとナニの時アレは役に
立つから安心して」
「はぁ、アレがナニですか……」
男としての名誉の為そう断言してから島原は寝袋に戻った。再び星空を見上げる。
 そう言えば向こうの『あゆ』さんは元気にしているかな、と島原は元の世界に残して
きた恋人のことをふと想った。今までも忘れていた訳ではない。ただ、目の前の状況
に押し流されているうちにその存在感が稀薄になりつつあるのも事実だった。『あゆ
さん』の存在もそれに拍車をかけているかもしれない。
 それでも、いつか帰ることができた時には二人でえっちを……と遠い恋人にスケベ
な願いをかけているうちに、島原はいつしか眠りに落ちていった。


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