「ともかく俺は御免だね」
「この世界を救う為です。このままではこの地球は不安定さを増し、星そのものが崩壊
しかねません。もう一度安定を取り戻すにはこれしか方法がないのですよ。しかもこの
装置は一度しか使えない。我々にとっても最後の賭けであり、望みなのです。真なる救
世主ならば世界を救う義務があるはず。違いますか?」
「勝手に仕立てておいて……。だからと言って俺のいた世界を消滅させて良いはずが
ないだろうが。あそこは俺にとっての現実だ!」
「あなたのこだわる現実って何です?あなたは現にここにいるではないですか。我々が
欲しているのはこの世界の現実なのですよ。あなたにとっての虚構は、この世界にとっ
て現実なのです」
「!」
その瞬間、島原は昨夜見た夢の記憶を取り戻した。そして全てを諒解した。自分がこ
だわらずにいられなかった現実と虚構の差、それは自分自身の存在意義に関わるこ
とであった。二十一世紀の地球を現実とし、この世界を虚構と見なすことで自我の変
革を拒絶し、己自身を保持しようとしていたのだ。
『現実なんて所詮一つの認識の仕方でしかない』
そうだ。自分にとって二十一世紀の世界だけを現実とするならば、今こうしているこの
世界は何なのだ?もし虚構でしかないのなら、あゆさんや部下B、今まで出会った人
々は自分にとって何等意味を持たなくなってしまう。だが彼等は現実に実在するのだ。
そして自分もまた……それはけして虚構などではありえなかった。
 島原の脳裡に『あゆ』さんと『あゆさん』の姿がダブった。彼女達どちらの世界も自分
にとっては必要であり、どちらかが消えて良いはずはなかった。だとすれば……
「………」
島原は決然と眼前を見据えた。答えは既に己の裡にあった。
 中年チョビ髭男が椅子を示しながら促した。
「さぁ、救世主としての覚悟を。そしてこの世界を救うのです」
「……解った」
いつしか島原は長剣を手にしていた。柄の部分に精緻な意匠が施されており、いかに
も伝説の勇者が使うような剣だった。
「……?何です、その剣は。一体どこから?」
「俺が救世主だと言ったのはあんただろ。救世主ならばこんなもの現出させる位たや
すいこと……と言いたいところだけど、さっきそこに放置されていた道具箱からちょい
と拝借してきた」
「何ぃっ!小道具係め、あれほど整理整頓しとけと言ってたのに……」
初めて中年チョビ髭男が動揺を見せた。
「だから言っただろ。メタフィクションなんてやめとけってさ。さ〜て、そろそろクライマッ
クスだし、ここらで屋台崩しといきますか」
島原はすうっと長剣をかざした。
「ま、まさかっ……」
「そしてこれぞまさに真実の剣、ナムサダルマプフンスリカサスートラだ!」
「な、なんだその長いネーミングは?それにどーいう意味だ?」
「後で自分で調べるんだな。今からこの島原高雄が救世主として最初で最後の断を下
すっっ!!」
島原は渾身の力を込めてその長剣を振るい、時空間転移装置たる椅子に深々と突き
刺した。中年チョビ髭男が慌てて駆け寄ったが既に遅かった。剣は確実に装置を破壊
していた。
「や、やめろっ。そんなことをしたら……」
「時空がどうなるか解らないってんだろ。けど俺にとっての虚構を絶ち切るにはこれしか
ないんでね」
島原は不敵な笑みを浮かべた。次の瞬間、装置から光が湧き起こった。
「うぉぉぉぉっっっっっっ」
圧倒的な眩しさがあたりを包み、島原は絶叫していた。
 
 世界は一瞬停止した……

 遠くに見えるのは夏の雲だった。今日も気温が高くなりそうである。半袖のシャツに心
地よい風が吹き抜けていった。
 『あゆ』は郊外の墓前に佇み、花束をそっと供えた。静かに目を閉じ、手を合わせる。
 あの飛行機墜落事故の時、島原の遺体は倒壊したアパートから発見されず終いであ
った。せめて身につけていた遺留品だけでもと望んだが、それすらも見つからなかった。
 島原の両親は半ば諦め、遺骨のないまま島原の葬儀を執り行った。あゆもそれに参
列したが、最後までその死を実感することはできなかった。そして、それは今も同じであ
った。
 あの日あゆはデートを忘れ、待合い場所に行かなかった。それが為に島原は彼女の
前から姿を消した。あの時忘れずに行っていれば……そのことをあゆはずっと悔やみ
続け、毎日の墓参を欠かさなかった。
 それでもあゆは思う。島原はどこかで生きている、いつか帰ってくる、と。
「きっと戻ってきますよね。あたし、あなたが美味しいと言ってくれたトトカルチョ作って
待ってますから」
あゆはそう呟いた。本当はカルパッチョなのだが、悲しいかなその場には突っ込みを
入れる者は誰もいなかった。
 目を開けふと見上げると、どこまでも蒼い空に一条、飛行機雲がのびやかに尾を引
いていた。あゆはまぶしげに手をかざし、悲壮の色を少し浮かべてそれを眺めた。

「もう帰ろう」
部下Bが『あゆさん』に言った。鉄の塔が突如光に包まれ消失してからかなりの刻が
経過していた。その付近には非常線が張られ、治安部隊やら野次馬やらが押し寄せ
て近寄れない有様であった。街全体もどこか浮き足立ち、人々は異様な興奮に包ま
れていた。その雰囲気に身の危険を感じた部下Bとあゆさんは、街の外へと逃れて
遠巻きに眺めるしかなかった。

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