第5話 のんびり、いくか?

「皆さん起きて下さい!敵です」
部下Bが島原とあゆさんに向かって叫んだ。島原があゆさんのすぐ隣にいるのを不自然
には思わなかったらしい。そのことに内心ホッとしつつ、島原は彼女を見た。
「まぁ……朝ですか〜?」
起きるには起きたが、あゆさんは寝ぼけているようだった。
「あら、朝なのに暗いんですね〜。今日は太陽さんお休みですか?」
「いや、敵だそうだ」
そう説明したものの、島原自身事態を把握していなかった。
「敵さん、ですか?」
「う〜む……敵って何だよ」
「だから敵なんですよ!」
何やら部下B一人だけがあせっていた。慌てて寝袋から抜け出すと、ごそごそと荷物を
漁り始める。その間にも『敵』なるものは近付いていた。星明かりの下、砂の上を黒い物
体が走っているのが見えた。
「来たっっ」
部下Bが反射的に防御の姿勢をとった。島原はあゆさんを庇おうと、彼女に覆い被さっ
た。
 あ、柔らかい、と島原があゆさんの感触を実感した瞬間、その黒いものは突如空中へ
と飛び上がった。
「!」
闇の中でも判別がつくほど、その物体は島原目がけて迫った。それが視界いっぱいに
捉えられた時、島原はその正体に気がついた。
「こ、これは……ゴキブリ!」
確かにそれは人間程もある巨大ゴキブリだった。透き通る羽を広げ、手足を四方にぴん
と伸ばして島原の顔面へと襲ってくる。
「ぎぇぇぇぇぇっっっっっっ」
島原はとっさに右腕を横に振り払った。巨大ゴキブリは偶然その腕にぶつかり、別の方
向へと消えた。
「うわっ、わっ、な、なんだよ、このでかいゴキブリは?」
「ですからこれが敵です」
会話しているそばから、巨大ゴキブリはまた島原に向けて攻撃してきた。
「ひぃぃぃぃぃっっっっ」
僅かな差で島原はその突進をかわした。その時無意識のうちにあゆさんの胸をふにふ
にと揉んでいたのだが、無論本人は気付いていなかった。
「これを使って下さい!」
さっきから荷物を掻き回していた部下Bが何かを放り投げた。受け取ってみると、それ
はスプレー缶だった。
「何だ?」
「我々の村に伝わる『神秘の霧』です」
説明を聞く暇もなく、島原は再三迫ってくる巨大ゴキブリへそのスプレーを発射した。と
たんに巨大ゴキブリは苦悶し、四肢をばたつかせたかと思うと羽を開いて飛び去ってい
った。
「………」
脅威が去ったのを確認すると、島原は放心してそのままあゆさんに抱きついた。
「……何とか撃退できましたね。って、なんて格好しているんですか」
「放っておいてくれ。この方が気分が落ち着くんだ……」
部下Bの呆れ顔をよそに、島原はあゆさんの温もりに安らぎを覚えて安堵の息を吐い
た。当のあゆさんはその状況を全く気にしていないようだった。
 改めて島原は手にしたスプレー缶を見つめ、部下Bに尋ねた。
「早い話が殺虫剤だろ、これ」
「我々の村に代々伝わる神秘のアイテムです」
「神秘、ねぇ……大体なんなんだよ、あの巨大ゴキブリは?」
「砂漠に住む魔の使いです。夜になると食料を狙って現れます」
「その割には俺を狙ってたが?」
「あなたが食料に見えたんじゃないでしょうか」
「冗談じゃないよ、ったく。なーにが魔の使いだ……ん?するとこの砂漠にゃあいつが
ゾロゾロいるのか?」
「ええ」
部下Bはいともあっさりと頷いた。
「するとこれから先もあいつと出くわすのか……」
想像したくなかった。あんな巨大ゴキブリなんて二度と遭遇したくはない。
「あら、可愛いじゃありませんか」
あゆさんがにこりと微笑んだ。彼女もどこか感覚が変だった。
「可愛くなんてないよ……」
「あのー、彼女は充分可愛いと思いますが」
「誰もあゆさんを可愛くないなんて言ってないぞ」
もっと変なのは部下Bである。どういう解釈をしているのやら。
「ともかく周囲の防備をしてから眠ろう」
そう言って、ようやく島原はあゆさんから離れた。
「奴らは一度襲撃に失敗すると同じ獲物は襲いませんから、今夜はたぶん大丈夫です
よ」
「そーゆーものなのか?」
この世界のゴキブリには知能があるのだろうかと島原は思った。
「それに襲われるとしても、狙われるのはあなた一人でしょうから」
部下Bはぬけぬけとそう言い切った。
「てめー……」
いつかタコ殴りにしてやる、と島原はこの時決意した。ともかく、この騒ぎで島原はあゆ
さんに夜這いしようとしていたことをすっかり忘れてしまっていた。

 翌朝、日光の直射顔面攻撃で島原は目を覚ました。普段昼近くまで寝ている怠惰な
学生生活を送っていた島原にとって、早起きはつらいものがあった。


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