夏の陰
一
見上げれば穢れなき青。見渡せば淡くそよぐ緑。そして凛と伸びたレールが
二本、彼の足許でどこまでも続いていた。
すっかり錆び付いたそのレールの上を、ステップを踏むような足さばきで進
む。利用する者も、通るものも誰一人何一つありはしない。そんなのは、もうこ
の世界から消えてしまったのだから。
陽炎の先に見えたのは、古びた小さな駅。駅舎の屋根は崩れ落ち、ホーム
はいたるところでひび割れていた。その灰色の壇上に少女が一人、優雅を装
って日傘を手に悠然と佇んでいた。人の年齢に合わせれば十四・五歳位の外
見だろうか。ショートカットに切り揃えた後ろ髪と対称的な、揉み上げの長い後
れ毛が僅かに揺れる。幼さの残る顔立ちとあいまって、その姿は印象的だっ
た。
敷石を鳴らす耳障りな足音に、驚くでもなく少女が振り向いた。彼は痩せ気
味の精悍な顔に人懐こそうな笑みを浮かべて、軽く片手を挙げた。
「今時随分と風流なものだ」
「所詮まねごとだけどね」
少女は受け流すように、涼しげな声を風に乗せた。
「それでも、忘れ去られた習慣を再現してみるというのは面白い趣向だ」
「あなた……変わってるね」
少女の立ち居に何かを見出したかのような彼の興味深げな言葉に、不思議
そうな顔を見せて少女は身を屈めた。ホームの上と下で互いの視線が一致
する。
「割とよく言われるよ」
「亜人種、よね」
「ああ」
「ふぅん……」
それ以上追求する気はないらしく、少女は手にした日傘をくるくると回した。
「君は?見たところかなり人に近い姿をしているようだが」
「何だと思う?」
からかうように、少女はくるりと回ってみせた。レース製の日傘が踊るように
舞う。
「今となってはこの世界に人間は一人もいない。いるとすれば俺のような亜
人種か、あるいは……」
そこまで口にして、彼は少女の半袖から伸びる細い腕やミニスカートから覗
くすらりとした脚に、うっすらとパーツの継ぎ目があることに気がついた。
「アンドロイドか」
「うん、当たり」
そう言って微笑む少女は、だがしかし人間そのものに見えた。
この地球(ほし)から人の姿が消えてもう百年以上が過ぎている。理由は分
からない。ある日を境に、人々は忽然といなくなった。そして後に残されたの
は、遺伝子操作によって産み出された亜人種と呼ばれる限りなく人に近い存
在だった。だが元来気紛れな人間達の玩具として造られた彼等は、生命とし
てはどこか不完全であった。種の保存が不可能であったり、極端に寿命が短
かったり等の理由によりその数はあっけなく激減し、今や同種のもの達と遭
遇することさえ稀である。やがてこの星は本来の管理者である他の動植物達
によって、食物連鎖の保たれた穏やかな惑星と化すのだろう。
「アンドロイドにしては表情が豊かだな」
「そう?」
「そう見える」
「それって褒められているのかな」
不思議な感じ方をする少女だ、と彼は思った。否定する理由もないので、その
まま頷く。
「たぶん」
「ありがと」
少女は口を大きく開いて笑みを作った。彼自身本物の人間を見たことはなか
ったが、翼のないその華奢な姿はまさしく少女そのものに感じられた。
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