「……さて、と」
再び翼を隠し、アザスはそう声にして気持ちを切り替えた。一つの目的が終息
し、今日からは新たなる道程だった。
燐香のことが気にならないと言えば嘘になりそうだったが、少女とはここまで
という約束だったので、また一人旅に戻るつもりだった。だから彼女をあの家
に残し、密かにここへ来ていた。燐香が自分の存在理由を取り戻し再び歩き出
せるかは彼女自身の問題である。孤独を常体とする亜人種のアザスにとって、
それを手助けするのは何かが違うという感覚があった。結局自分に生きる意味
があるかどうかは本人次第なのだ。救うのは他者ではない。そう思った。
それでも……心のどこかで割り切れない感情がくすぶるのを覚えつつ、アザ
スは当てもなく歩き出した。漠とした何かが引っかかっている気がする、その違
和感を黙殺したままで。
砂浜の続く海岸線をとぼとぼと進んでいると、人工の岬の突堤に突き当たっ
た。浜辺がそこで途切れている以上、あとは歩き慣れたいつもの荒れた舗装
路に戻るだけだった。行き先はとりあえず適当に決めるか、そんなことを思い
ながら、やや高低差のある陸路への階段を昇る。一段、また一段と足をかけ
てゆくにつれて、その先に何やら白く丸いものが見えてきた。時折くるくると回
るそれは、距離が狭まってくると最近よく目にしていたものだと分かった。
とん、と昇りきったそこには少女が一人、優雅を装って真新しい日傘を手に
悠然と佇んでいた。ショートカットに切り揃えた後ろ髪と対称的な、もみ上げの
長い後れ毛が僅かに揺れる。幼さの残るその横顔に陰鬱な色はなく、どこか
悪戯めいたものさえあった。驚くのも癪に思えたアザスは、あくまで平静さを保
って口を開いた。
「またも風流なものだ」
「やっぱりまねごとだけどね」
「それでも、忘れ去られた習慣を再現してみるというのは面白い趣向さ」
「そうかな……そうかもね」
空を見上げていた少女が視線を戻し、彼と目があった。無意識のうちに二人
どこか笑みが口許に浮かんでいた。
「ね、どこ行くの?」
「ん……西、かな」
「一緒に行って……いい?」
探るような少女の問い。アザスは少しだけ迷いを見せてから、答えた。
「ああ」
それでようやく、彼は自分の中に引っかかっていた何かが明確さを得たと思
った。漠然とした違和感、その理由を少女との旅で見付けたいという希求が
今確かにあった。
「じゃ、改めて自己紹介ね」
見上げれば穢れなき青。見渡せば悠久に寄せては返す滄海。そして眼前の
少女はアザスの手を取りながら、無邪気な笑顔で澄んだ声を大空に響かせ
た。
「あたしの名前は、燐香!」
完
(2002 8 27 著)
(2003 8 23 改訂)
もどる [さくぶん]へ