雑感15 49話について
BS11の「Zガンダム」再放送もいよいよラスト手前の49話まで来ました。「Z」の最終決戦は本放
送で見た時からなんとなく違和感があったのですけども、30年以上を経てやっとその理由が分か
ってきました。このラスト2話は戦争全体の描写が殆どなく、カミーユが精神崩壊へと向かう過程
をひたすら描く構成になっているからではないかと。や、「今頃気付いたのか」というツッコミはご
勘弁を(苦笑)。
ファーストガンダムの最終決戦もラスト2話を使って描かれましたが、それと比較すると更に「Z」
の異様さが分かる気がします。ファーストガンダムでは連邦軍のア・バオア・クー攻略の様子が順
を追って描写され、ジオン側もキシリアがギレンを殺すといったドラマが盛り込まれていて、そのう
えでアムロvsシャアという個人の戦いが描かれていました。
対して「Z」は前回までの流れからいきなり話が飛んで、もう最終決戦が始まっているところから
スタートします。まるで打ち切りで途中のエピソードをカットしたかのような唐突さです(笑)。そして
映像はカミーユvsジェリド、ヤザンvsエマ・カツといった個々人の戦闘を中心に進行。前方不注意
によるカツの死というあっけない幕切れ(ホントに最後まで存在意義の分からないキャラだったと
思います)をきっかけに、ヘンケン、ジェリドと次々レギュラーキャラが死に、それを見たカミーユが
激昂。空へ向けてビームライフルを連射したり宇宙空間でヘルメットのバイザーを開けてみたり
と、この時点で既に精神崩壊の予兆を示し始めます。この間、戦争全体の動向は説明なし。そも
そもカミーユ達以外に戦っている描写がないので、どの程度の規模の戦争なのかも分かりませ
ん。名も無き一般兵の最期まで描写していたファーストガンダムとはえらい違いです。
一見「ダンバイン」最終決戦の焼き直しにも感じられる「Z」ラスト2話ですが、「ダンバイン」のほ
うはドレイクやシーラ様、エレといった指導者達の采配や思惑が描かれていて、巨大戦艦同士の
激突もあったりと、大規模な戦争の様子がきちんと盛り込まれていました。「Z」の前番組にあたる
「エルガイム」でも最終決戦は大きな規模で描かれていましたし、「Z」のみ意図的に個人の戦いに
終始していたように感じられます。49話後半、全戦力で出撃してきたアクシズ軍とシロッコ達が接
触し、いよいよ大きな戦いが始まると思った瞬間シャアの放ったメガバズーカランチャーによって
ガザC部隊が壊滅という拍子抜け具合からしても、作為的であったのは明らかではないかと。
47話でハマーンとニュータイプ的邂逅をしながらも理解しあうことができず、48話では救いたい
相手だったロザミアを自らの手で殺め、「ニュータイプに出来ることと言ったら人殺しだけみたい
だ」とまで言い切ってしまったカミーユ。49話に至るまで精神的にはかなり追い込まれていて、カ
ツやヘンケンの死が精神崩壊の決定打になったと言えるでしょうか。こうしてみると「Z」終盤はい
かにカミーユを追い詰めるかに注力していて(笑)、やはり戦争の行く末は二の次になっていた気
がします。
そして物語はついに最終話へ・・・などと煽っておきながら、実はまだ何を書くか考えていなかっ
たり(苦笑)。
(18/01/24)
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