雑感16 そして最終話
「Zガンダム」最終話について。放送の少し前だったか、当時のアニメディアにシナリオが付録で
同梱されました。私も購入したものの今はもう手元になく、あやふやな記憶に頼るしかないのです
が、実際のアニメ本編とは結構ストーリーが違っていたように覚えています。どちらかというとコ
ミックボンボンで近藤和久氏が連載していたマンガ版最終回に近いものだった気がします。当時
近藤氏の元にはサンライズから一ヶ月分のシナリオがまとめて送られてきて、それをベースにマ
ンガ化していたそうなので、コミック版のほうが元シナリオに近く、アニメはコンテの段階で相当
手直しが入ったと見ることができるのではないかと。シャアはハマーンとの戦闘中コロニーレー
ザーに巻き込まれて生死不明、シロッコの最期もウェーブライダーによる特攻ではなかったよう
な。ラストの精神崩壊したカミーユの台詞も違っていて、実際の放送を見た時に「台詞が変わっ
ている」と思ったものでした。とはいえ、おおまかな話はシナリオもアニメもほぼ同じなので、富野
監督の構想通りのストーリーだったと言えるでしょうか。
前回の雑感でも書きましたが、「Z」最終話もやはりカミーユやシャアの動向に焦点が当てられて
いて、戦争の行方そのものははっきりしないまま幕が引かれます。そもそも最終回だというのにA
パートはシャア、ハマーン、シロッコの猿芝居(小説版で富野監督自身そう表記)でほぼ終わり、B
パートもシャアvsハマーン、カミーユvsシロッコの戦いだけに殆ど尺を費やしているので、ある意味
特異です。映像からかろうじてアクシズ軍は戦力温存のため撤退、ティターンズはコロニーレー
ザーにより多くの艦が消失というのは読み取れますけど、各陣営がどのくらいの戦力を失ったの
か(orどれくらい生き残ったのか)は判明せず。ナレーションが一切ないので、戦争そのものが終
わったのかすら分からない有様です。後番組は続編の「ZZ」であることが事前に告知されていたと
はいえ、ひとつの作品としては尻切れトンボなラストに見えなくもありません。このことからも、あく
まで「Z」はカミーユ個人の物語として完結したというとらえ方が出来るのではないかと、そう思って
みたり。
小説版は更にカミーユが精神崩壊してゆくさまが克明に描かれていて、最終章の狂気ぶりは当
時読んでいて寒気を覚えたほどでした。小説版5巻はアニメの40話以降をまとめていますが、大
きな流れはアニメとほぼ同じものの、各キャラの死に方が違ったり、48話のエピソードでロザミア
が生き残り、最終章でカミーユが対峙するのがサイコガンダムmk-2だったりする違いがあります。
カツやヘンケンが死んだあたりで既にカミーユは精神異常をきたし始めていて、次第に幼児退行
化。シロッコ達の猿芝居に割り込んだあたりでシャアやファもカミーユの異常に気がつきます。シ
ロッコのジ・Oはバイオセンサーが発動したZガンダムのバリアーに弾かれたはずみで、コロニー
レーザーの発射に巻き込まれ消滅。その姿に亡き父をダブらせたカミーユは戦場で母を求め、
さまよっているうちにロザミアのサイコガンダムmk-2と遭遇し・・・というのが最後の流れです(そ
の先はネタバレになるので伏せます)。小説版の最終章はカミーユの描写にページが割かれて
いて、アニメ以上に彼個人の物語として収束した印象があります。ちなみに小説の帯に書かれて
いたコピーは「シャアは消息を絶ち、カミーユは崩壊した。世界はその代償に何を得たのだろう
か」みたいな文章で、ネタバレ全開でした(笑)。
「Zガンダムが現実認識の物語であった以上、カミーユは崩壊するしかなかった」というのが放送
終了後出版されたムック本での富野監督の回答でした。「カミーユは人間ができること以上のこと
をやろうとした。フィクションならそれが可能だけど、Zガンダムは現実認識の物語なのでできなか
った」ということだそうな。現実認識というワードは富野監督が「Z」の企画書の段階から表記してい
るので、作品のテーマやカミーユが精神崩壊するのは最初から既定路線だったと言えます。ただ
アニメでそれをやってしまったのは前代未聞で(後に「テッカマンブレード」も同様のラストを迎えて
いますが)、それゆえ衝撃が大きく今なお問題作として語り継がれています。ここまでの悲劇や絶
望をテレビアニメで描くことにどんな意味があるのかは個々人の解釈次第だと思いますが、本放
送当時はほぼ批判一色で、反抗期かつ中二病真っ盛りだった私は「いや、この救いのなさが良い
んじゃないか」と一人肯定していたものでした(苦笑)。少なくとも80年代は雑誌等で「Z」のラストに
対する肯定意見を目にしたことがなかったように思います。
(18/01/31)
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