それからしばらくは三人で境内をゆっくりと見物した。静は物珍しそうに、石
段と共に続く提灯の列にしきりと頭を巡らせた。やがて風車の並ぶ屋台に静
が見とれていると、父親がそっと彼に話しかけてきた。
「あれがこんなにも嬉しそうにしているのは久しぶりでしてな」
「入院生活が長いでしょうからね。病室に籠もりきりでは鬱屈しますでしょう」
「うむ。私も家内もそう度々来られる訳ではないものだから、身近に親しいも
のがいないということで、だいぶ寂しい想いをさせているとは思うのだが……」
「あの年頃では一層でしょうね」
「だから、あなた様にはここにいる間だけでも、あの娘(こ)の側にいてやって
ほしいのです。仕事があるのは充分解ってはいるのだが」
「私は構いませんけれども」
「済まないですな。親馬鹿のたわごとだと思って下さって結構です」
「いえいえ。親として子供を心配するのは当然でしょう」
「そう言って下さると助かる……ですがな、あの娘はあなたの話となると、そ
れは嬉しそうに話すのですよ。まんざらでもないのかもしれませんな」
「そんな……まだ出会ってひと月と経っていないのですから」
彼は少なからず動揺したが、平静を努めてみせた。
「ははは。まあそれはともかくとして、お願いしますぞ」
「はあ……」
「何のお話ですの?」
そこへ風車を手に静が戻ってきた。
「いや何、お前の我儘でさぞ先生が迷惑しとるのではないかと思ってな。今
詫びていたところだ」
「まあ、お父様ったら……そんなに我儘な娘に見えまして?もしそうなら、そ
う育てたのはお父様でしてよ」
静はそう言ってふくれた。彼と父は顔を見合わせて笑った。
思いがけず湖の方から花火が上がった。森の木々で狭く区切られた夜空
に、光の大輪が次々と咲いた。
「まぁ、綺麗……」
静はうっとりとその輝きに見とれた。その横顔に少女のあどけなさを見出し
ながらも、時々大人びた表情を見せる眼前の女性に、彼は本当に天使の
魅力を覚え始めていた。
自宅から自作の作品集が送られてきたのは、新作の執筆も半ばを越えた
頃であった。留守を預かってくれている友人に頼んでいたものである。作品
集と言っても、執筆数が少ない彼にとっては今手にある一冊が全てであっ
た。さっそく彼は静に手渡すべく病院へ向かった。
夏祭りの夜以来、静は体調を崩していた。父が来た嬉しさにはしゃぎすぎ
たのがいけなかったらしい。微熱が続き、時折激しく咳き込むようであった。
彼が訪ねたその日も、看護婦の話ではあまり調子が良いようではなかった。
長居はすまいと決めて、彼は静の病室に入った。
「具合はどうです?」
赤みを帯びた頬に微笑を浮かべる静に、彼は優しく声をかけた。
「今は落ち着いています……」
「そりゃあ良かった。でも安静にしているに越したことはないですからね」
そう言って傍らの椅子に腰掛けながら、彼は手にしていた本を静に示した。
「それは?」
「約束していた私の作品集です。友人が送ってきてくれました」
「まあ……ありがとうございます」
「たいしたものではありませんが、調子が良くなったら読んでみて下さい」
彼は本を枕元にそっと置いた。
「さっそく読んでみますわ」
「慌てなくとも、本は逃げませんよ」
「でも……先生のご本を読むの、ずっと楽しみにしていたんです。ですから
一刻も早く読みたいんですの」
「ははは。それは作者冥利に尽きますね」
静が本当に目を輝かせながら本の表紙に見入るのを、彼は新鮮な感動と
共に見つめた。考えてみれば自作を他者が読む姿を見たことはない。読
者というものが、どのような表情で自分の作品を読むのか、それは気恥ず
かしくも知りたい光景であった。
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