「きっと、ですよ……」
「勿論。ですから、それまでに静さんも病気を治していて下さいね」
「はい……」
弱々しくも、静に笑顔が戻ってきていた。そこでようやく、彼はドライブの件を
切り出した。
「それでお詫びと言っては何ですが、今度静さんの調子が良い時に車で出か
けたいと思いまして。この高原のもっと山頂の方へ行くだけですけど、結構景
色の良い所があるんですよ」
「まあ。それは是非!」
いつになく静が快活な返事をした。その様子に彼は安堵しながらも、
「また興奮して熱が出るといけないですから、くれぐれも平静に、ね……近い
うち天気が良い日にでも迎えに来ます」
と静の頭を軽く撫でた。子供扱いする彼の口調に少し口をとがらせながら、
それでも静はにこりと大きく笑みを作って応えた。
「はい。絶対ですよ」
それはまさに無垢な天使の喜びであった。

 彼が車を手配してサナトリウムに現れたのは、それから二日後であった。
静は駆け出しそうな勢いで病院の玄関に降りてきた。どこから持ち出したの
か、白いリボンのついた大きな麦藁帽子をかぶっていた。
「お迎えに参りましたよ、お嬢様」
彼は大仰に言って出迎えた。
「ふふ……では、行きましょうか」
静は終始にこやかなまま車に乗り込んだ。彼は一応看護婦と主治医に今日
の静の体調を尋ね、外出の許可を取り付けた。調子はだいぶ良いとの主治
医の言葉に安心すると、
「では、静さんをお預かりします」
そう言って彼は看護婦達に軽く頭を下げ、車中の人となった。運転手に行き
先を告げると、車はややうるさいエンジン音を立てながら出発した。
 車内の静はどこか緊張気味に窓の方を向きながら座り続けた。すぐ隣に
座る彼のちょっとした仕草に敏感に反応しながらも、時折外の景色の移り変
わりを眺めては彼に話しかけてきた。
「まあ……病院がもうあんなに小さく……」
見ると、蛇行する山道の端にぽつりとサナトリウムの屋根が捉えられた。高
原とは言え、病院の建つ斜面は中腹にすぎなかった。東北地方の背骨を成
す山脈の一部を形成する山々は、遙か高く続いていた。奥地に入れば温泉
もあると聞いていたが、今日はそこまで登るつもりはなかった。
「毎日病院の窓からの景色ばかりじゃ、さすがに飽きるでしょう?」
「そうですね。たまには違う景色も、新鮮で良いものです」
そこまで言うと静はちらと彼を見やって、悪戯っぽい微笑をした。
「……?」
「こうして二人で出かけるのって、初めてですよね」
「ええ、まあ」
「それなのに、先生ったらさも慣れた様子で誘いなさるんですもの……実は
こういうことがお得意でいらっしゃるのかと思いまして」
彼はぽかんと口を開けて、次には、
「ご冗談を!女性をお誘いするのは……まあ初めてとは言いませんけど、
そうそうあることじゃありませんよ」
と反論した。すると今度は静の方が、
「まあ、私が初めてではないのですね。とても残念ですわ」
と言い返した。そのやりとりに、それまで沈黙を保っていた運転手が笑いな
がら口を開いた。
「おやまあ……お二人はてっきりご兄妹かと思っていましたよ」
「あら、そう見えまして?」
静がいち早く応じた。
「顔は似てませんがね、何かこう、雰囲気といったものが似てたんで……」
「へえ……似ているかな」
彼も興味を覚えて少し身を乗り出した。なるほど七、八歳は離れているの
で兄妹に見えなくもないだろう。だがその共通点となると、彼には思いつか
なかった。
「まあ、どことなくですけど。どこがどう、という訳でもないんですが……」
だが運転手は言葉を濁して、あとは再び運転に集中した。彼はやや落胆し
て、座席に腰を沈めた。
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