もう一つの特徴は、かなり癖のある主人公像とシナリオのテキストです。主人公・射
場荘司は本人こそ「平々凡々な高校生」を自称していますが、とんでもない。世捨て
人のような思考回路の持ち主で、常に全ての物事に対して懐疑的。あらゆることに
論理性と整合性を求め、哲学的知識をもって事象を計ろうとする癖のある、かなり
個性的な少年です。ゲーム冒頭、ペンションまでの往路でジャンケンに負けて明美
のぶんまで荷物を背負う羽目になった時にも、
『グーで負けた。グーで負けるというのは、保守的なために敗北したかのような、苦
い後悔が残るものだ。』
とさっそく謎の理屈を開陳します。続けて昼食後に女の子達が談笑しているだけで、
『女は集まると怖い。群れる動物の本能を剥き出しにして増長する。女は、ただ一
人でも強靱で、ましてや集まれば、更に破壊的な勢力として成る。それは血に溶け
込んだ、原始の時代から連なる、男達の恐怖の記憶だ。』
なんてことを考えていたりします。終始こんな調子なので、人によってはこの主人公
を嫌悪することもあるかと思います。私はその厭世的な言動が読んでいて面白く、
感情移入こそしないものの楽しんでプレイをすることができました。これもまた、評
価の分かれる部分ではないでしょうか。余談ですが、この作品は何故か主人公の
一人称を変更することが可能で(デフォルトは「俺」)、そのあまりに世間離れした彼
の性格から、一部のファンの間では「拙僧」に変更してプレイするのが流行っていた
りします。
 そしてシナリオ。物語は主人公の一人称視点で進んでゆくので、シナリオもまた衒
学的な蘊蓄やら哲学的思索に満ちたテキストになっています。哲学用語が多く顔を
出し、それに対する説明は一切ないので、ある意味敷居の高い、難解とも呼べる
文章かと思います。ここもまた好みが二分しそうな要素で、衒学好き、蘊蓄好きな
文系人間にとってはたまらなく歯ごたえのあるテキストですが(笑)、逆に拒絶反応
を示す人が多いのもまた事実でしょう。
 ここまで書いた点だけでもかなり人を選ぶ作品に感じられますが、更に追い打ち
をかけるように、この「ずま」のストーリーは底意地が悪いとさえ言えるほどに、アン
チギャルゲーイズム(?)に満ちていたりします。短いスカートの裾をひるがえした
女の子がこちらにお尻を突きだして、さも誘っているかのごとくギャルゲー的雰囲
気に彩られたジャケットのイラストや、コンシューマ作品としては過剰なまでにエロ
スを醸し出している森藤卓弥氏のCGとは全く相反するように、「ずま」の主人公は
徹底的なまでに恋愛と無縁です。山奥の山荘で男が一人に女の子が5人、こんな
美味しいシチュエーションを用意し、しかも各ヒロインの抱える悩みの多くは恋愛絡
みだと言うのに、悲しいかな主人公はいつも蚊帳の外。恋愛模様の周囲をぐるぐる
と回るだけで、当事者となることはありません。ここまで女性にモテない主人公とい
うのも、ゲーム史上稀ではないでしょうか。その一方でヒロイン達が裡に秘めてい
る恋愛感情は、その大半がアブノーマルなものばかり(苦笑)。特に小学生ヒロイ
ン・琴原みゆと彼の父親、それと木ノ下さよりの間に横たわる感情のもつれはコン
シューマ枠の規制を大幅に越えたものと言え、個人的にはよくこれが一般作で通
ったものだと随分びっくりしました。シナリオの主軸に恋愛を取り入れているという
点ではギャルゲー的であると言えるのかもしれませんが、ヒロイン達の見せる素
顔はプレイヤーを女性不信にさせるようなものが多く(笑)、むしろギャルゲーを装
いながらもアンチギャルゲーを貫くために用意したトラップのように思えなくもあり
ません(扇情的なジャケットイラストなのに、肝心の女の子の顔が口元の笑みだけ
であとは隠れているというのも、確信犯的な作為による構図かと。他にもマニュア
ルのキャラ紹介が「頭悪い」「凶暴」「ブラコン」「不可解」「天然ボケ」と酷い書かれ
ようだったりと、露骨なブービートラップであることを示唆する証拠が散見できます)。
これもまた、従来のギャルゲーファンにこの作品が嫌われ、核地雷に等しい扱い
を受けている理由でしょう。
 しかし、そんなストーリーに反して、循環する時間から脱した後のエピローグは不
思議と後味が良く、奇妙な爽やかさが漂っています。音楽の良さも手伝っているの
でしょうが、本当に長い長い時間の迷宮から抜け出した開放感と、そしてヒロイン
達が自らの悩みに一つの答えを見いだした喜びが伝わってきて、私はこの作品の
各エピローグがかなり好きです。個人的評価を押し上げたのは、たぶんこの爽快
感に依る部分が大きいと思います。


 
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