いつの間にか眠っていたようだ、と彼はようやく自分の現状を把握した。普通
列車の心地よい揺れが、窓から差し込む淡い陽射しと共に彼を午睡へと誘った
らしい。腕時計を見て、一時間位うたた寝したと解った。
「何だか昔の夢を見ていたような……」
彼はそう一人ごちた。記憶の奥底に封じていた、とある街での想い出。それが
今更のように蘇ってきたことに、彼は戸惑いを覚えた。もう三年も前のことなの
に、新たな街での生活が忘れさせていたはずなのに、何故今頃になって思い出
すのだろう……彼には判然としなかった。
車内のアナウンスが次の停車駅を告げた。それは、偶然にもあの街の駅名だ
った。そう、さいぜんまで夢の中で鮮やかに再現されていた、遠くて近い記憶の
舞台。そのアナウンスに惹かれるかのように、彼は衝動的に座席から腰を浮か
せていた。
五分後、彼は旅行カバン一つで懐かしい街に降り立った。理由は自分でも解
らなかった。ほんの所用で実家に戻るだけのはずだったのに、全く予想外の下
車であった。けれども、何故か彼はそうしなければならない必然をどこかで感じ
ていた。
三年ぶりの街並みは、変わっていないようでいて微妙な変化を見せていた。
一年たらずの生活の中で日常となっていた風景が、今見ている景色と齟齬を生
じていて、それが彼の記憶を揺り動かした。あの頃彼女と入った喫茶店も、 も
う別の店に変わっていた。あの街角も、あの交差点も、彼女との想い出を呼び
覚ますにはどこか違和感があった。
けれども、頭上を覆う冬の空だけはあの時のままだと彼は思った。彼女と別
れたあの日のように、さっきまで微かに陽が差していた空は重く曇りだしていた。
「あら……」
ふいに背中から声が響いた。反射的に振り向くと、そこには懐かしい顔があっ
た。彼女の友達だった娘(こ)が、当時のままに立って彼を見つめていた。
「久しぶり〜、あれからどーしてたの?」
「え……ああ、他の街で仕事してるよ」
「そーなの。連絡くれればよかったのに。みんなどーしてるのかなってよく噂して
たのよ」
「そう……」
彼女もだろうか、と彼はちらと考えて慌ててうち消した。もう過ぎたことだ。今に
なって思い出しても、どうにもならないと解っている。それなのに何故、自分は
ここにいるのだろう……。
「今日はどうしたの?」
「え、いや……」
決まり悪そうに彼が言葉を濁していると、眼前の女友達は急に真面目な顔で
思いがけない一言を口にした。
「あ、そうか……彼女の墓参りでしょ」
「え?」
唐突なその言葉が、彼の思考に鋭く突き刺さった。
「何のこと?」
「え……もしかして知らなかったの?彼女、一年前に事故で死んだのよ」
「!」
彼はよろめきそうになる程、心身共にぐらついた。ふいに意識が白く遠のきそ
うになる。それを必死に耐えて、彼はその場に立ち続けた。
「……死んだ?……彼女が?」
「ええ……去年のちょうど今日、事故で……そうだ、思い出した。あなたにも連
絡取ろうとしたんだけど、居場所が解らなくて葬儀に呼べなかったのよね。あ
なた、全然知らなかったの?」
「あ、ああ……」
その説明に、彼はどうして自分が唐突にこの街へ戻ったのかふいに理解した。
彼女が自分を呼んだのかもしれない、そう思えた。
「そう……」
女友達はゆっくり頷くと、ふと優しいまなざしで、
「お墓の場所、教えてあげる……行ってあげなさい。彼女、待ってるわよ」
と言った。その言葉に彼は反射的に飛びついた。半ば無意識に、彼は彼女の
墓地を聞き出すとタクシーに乗っていた。その車中、脳裡では女友達の最後
の言葉がいつまでも繰り返し響いていた。
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