「いーだろ、別に」
「やっぱり怪しい〜」
追求するように顔を覗き込んでくる藤里に対し、史郎はそっぽを向くしかなかっ
た。と同時に、懐かしい既視感が胸をよぎった。以前これと同じ台詞を同級生
の藤里和美に言ったような……。
小川君って、どんな子が好みなの?
そんなことを訊かれたように思う。当の本人を前にして素直に答えられるはず
もなく、「いーだろ、別に」とごまかすしかなかった自分が今にすれば微笑ましく
もあった。
「ふふ、小川さんも昔は青春してたんですねぇ〜」
「“昔”は余計だ。それに、大人をからかうものじゃないよ」
「それって、自分がオジさんだって認めたってことよね」
「それとこれとは別問題!」
遠慮のない少女の言い様に、史郎は論理的な反論ができなくなりつつあった。
思ったより長い坂道にうんざりしだした頃、二人はようやくそのてっぺんへと
到着した。勾配を登り切った途端、唐突に視界が開けた。左手にはなだらか
な傾斜を利用した畑が続き、右手には幾重にも入り組んだ海岸線と、真昼の
日差しで銀色にゆらめく太平洋が広がっていた。遠く耳を澄ませば潮騒が優
しい囁きのように響いてくる。絵はがきの風景の中に紛れ込んでしまったかの
ごとく、そこは日常から切り離された美しさに満ちていた。
「うわぁ、いい景色……」
その絵画にも似た自然の造形美に、さすがの藤里も言葉を失ってうっとりと見
とれていた。その単純な感想には、純粋な感動が詰まっていた。難解な修飾
語を重ねる必要なんてない。美しいものを素直に美しいと言えるその感覚をこ
そ、大切にしたいと史郎は思った。
「……あたし達の街って、山ばかりじゃない?」
陶酔したような口調のまま、藤里は独り言めいた声を乾いた空気に滲ませた。
確かに史郎や彼女の住んでいる街は海岸から遠い山間部にあった。
「だから、海を見ると新鮮な感動ってあるよね」
「ああ、そうだな」
藤里の感嘆に頷きながら、史郎はふと、自分はその言葉をもっと以前に聞い
てみたかったのかもしれないと思いついていた。少女と同年齢の頃に、少女と
同じ名前の理想像から……けれどもそれは夢想にすぎなかった。現実には、
藤里和美と二人きりで海を見たなんて想い出はない。それは叶うはずのない
遅すぎた願望だった。そんな切ない願いを、夏の風が優しくかすめていった。
四
夕暮れも近い頃、史郎は一旦藤里と別れて旅館に戻った。玄関で靴を脱い
でいると、廊下の奥からぱたぱたと足音が近づいてきた。
「お帰りなさいませ。姪御さん、見つかりましたか?」
出迎えるなり女将はそう尋ねてきた。気にかけていてくれたのが、その口調
から実感できた。
「はい、おかげさまで。元気だったんで私も安心しました」
答えながらも史郎は、年齢差を考えれば藤里を自分の姪だとする嘘には無理
があったような気がし始めていた。もっとも、彼女に言われるほど自分はオジ
さんではないという反発心でしかないのかもしれないが。
「まぁ、それは良かったですね」
「色々とありかどうございました」
女将の人の良さを利用する形となってしまったことに、史郎は頭を下げると同
時に心の中で詫びていた。このような狡猾さを持ち出してしまえる自分が少し
後ろめたかった。
「そう言えば……」
部屋へ向かおうとする史郎の背中に、婦人が思い出したように声をかけた。
「今日は町の公民館で盆踊り大会があるんですよ。少しだけですが屋台も並
んで、賑やかな感じになると思います。よろしければ姪御さんと出かけられて
みてはいかがですか?」
「盆踊りですか……そうですね」
そう言えば張り紙を見たなと史郎は思い出していた。田舎町の数少ない祭り
の一つなのだろう。東北地方の短い夏を楽しもうとする人々の風情に興味を
惹かれ、史郎は藤里を誘ってみようと即断していた。
「あ!あの子の泊まっている旅館の番号って、分かります?」
玄関脇に置かれた公衆電話を振り返りながら、史郎は女将にそう訊いた。婦
人は厭うことなく、一度私室に下がると旅館組合の電話帳を持ってきてくれた。
「はい、この番号ですよ」
「どうも済みません」
女将の開いてくれた頁を見ながら、史郎は少女の泊まる旅館へと電話をかけ
た。無機質なコール音が鳴り、ほどなく従業員らしき男の声が耳元に届いた。
「私、小川と言いますが、そちらに泊まっている藤里和美さんをお願いします」
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