「勉強してさ、テストで良い点取って、先生や親の言うこと聞いて、優等生だね、
よく出来たお子さんですねって誉められて……でも、そんなの周りから良く見ら
れたいっていう、表面的な自分にすぎないんじゃないかって。本当の自分はも
っと違うんじゃないかなって、考えることがあるの」
その呟きに、史郎は顎に手をあてて思考を巡らせた。
「思春期の悩みってやつかな。うん、俺にも似たような疑問はあったよ。確かに
自分ほど見えにくいものはないかもしれない。自己評価なんて、所詮主観的な
ものでしかないしね。でも、自分のことが一番分かるのも他ならぬ自分自身だ
と思うよ」
「どうして?」
「一番つきあいが長いからさ」
史郎の単純すぎる回答に、藤里はまたころころと笑った。
「何それ。おっかしいの〜」
「そういうものさ。正しい答えなんてあるような命題じゃないんだし、もっと肩の
力を抜いて気楽に考えてもいいんじゃないかな。真面目すぎるのかもね、君
は」
「真面目?あたしが?」
藤里はその言葉に一瞬ぴくっと身体を震わせた。けれどもすぐに、それが意
外だとばかりに笑い飛ばす口調になった。
「そ。生きることに対して、ね。今時の高校生にしては珍しいくらいにさ」
「そーかなぁ。……あ、ホラ、その『今時』って言い方がオジさん的なのよ」
「あ……」
慌てて口を塞いだが、既に遅かった。藤里の瞳がまた悪戯っぽく光る。
「ははは〜っ。やっぱり言動がオジさんだよ、小川さんって」
「う、そんなことないぞ。俺だってついこの前までは君と同じく高校生だったん
だから。ほんの数年の違いでしかないって」
「そうは見えないけどなぁ」
疑わしげなまなざしを送ってくる少女に、史郎は大仰に語気を強めた。
「そうなの!それに、俺も高校の時は君と同じだったよ」
「同じって?」
「真面目だったってこと。現実世界って何だろうとか、自分の存在って何だろう
とか、色々考えたものさ。なんて言うのかな、哲学っぽく悩むことが格好いいと
思ってたんだろうな。もっともその時認識していた世界なんて、自分の周りが全
ての狭いものでしかなかったんだろうけど。でも、大学に入って今まで以上に
色んなタイプの人と接して、適当に講義サボって遊んで、バイトして、世の中の
仕組みってのがおぼろげながらも見えてくると、それまで世界の全てと思って
いたことや自分ってものが、実はちっぽけなものでしかないことに気付いてし
まう。以前は白か黒かはっきりしないと納得できなかった物事が、矛盾を感じ
てもまぁいいやと思えてくる。良くも悪くもいい加減になって、世間を一歩引い
て冷めた目で見るようになるんだ。そうやって、いつの間にか純粋さや真面目
さを失ってゆく……もしそれが大人になるってことだとしたら、ちょっと悲しいか
もしれないな」
それはどこか、かつての同級生に語りかけているような心境であった。知らず
知らずのうちに、史郎は眼前の少女ではなく自分が高校の頃抱いていた藤里
和美の理想像に、あの頃とは変わってしまった自分の心情を吐露していた。
「小川さん、さ……」
藤里がややためらいがちに疑問を発した。
「今、ちゃんとあたしに話してた?」
「え?」
その一言で、史郎の意識は冷水を浴びせられたように現実へと立ち戻った。
「その、何かすっごく遠い目をしてたみたいに見えたけど。まるで、昔の恋人に
でも語りかけるみたいに」
少女の鋭い指摘に、史郎は心の奥底を見透かされたと分かって激しく動揺し
た。こういった“気分”までも察することができるのが、藤里の感性なのだろう。
その鋭敏さゆえに、彼女は悩みすぎるのかもしれない。
「まさか、そんなことないよ」
「ホントに〜?」
「ホント本当。あ、けど高校の時に君と同じ名前のクラスメイトがいたっけ」
「へぇ」
「なんと漢字まですっかり一緒」
そこまで暴露すると、勘の鋭い藤里はまたも史郎の本音に切り込んだ。
「あ、分かった。好きだったんでしょ、その人のこと」
「え!?さぁて、どうだったかな」
史郎は無関心を装ってうそぶいた。
「あ〜っ、ごまかしてる。でも、ホントは図星でしょ」
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