「全く同じだとは言わないよ。けど、自己嫌悪の感覚ってのは少なからず誰でも
持っているものじゃないのかな。だから自分を向上させようとする。より良く在ろ
うとする。プラス思考の人間の場合、そこから自分を変えてゆこうとするものさ。
つまりは、自己啓発の原動力だよ」
史郎のその説明に、少女は一瞬あっけにとられた顔になった。次いで探るよう
な視線で彼を凝視してくる。
「あなた、ホントに探偵?生活指導の先生と話してるみたい」
「俺は教員免許なんて持ってないよ。ただのしがない貧乏探偵さ」
「儲かってないの?」
「ああ。お人好しがたたって、つい金にならない仕事ばかり引き受けてしまう。そ
れで相棒にはよく怒られてるよ」
史郎はおどけて首をすくめて見せた。それは確かに事実なのだが、一方で何故
初対面の少女にそんなことまで話してしまうのだろうと、彼自身不思議に思える
感覚があった。どこかでこの少女に同級生だった“藤里和美”を重ね合わせてし
まっているのだろうか。自分が見えないのは、他ならぬ史郎自身かもしれなかっ
た。
一方、眼前の藤里和美はと言えば、
「ははは〜〜っ。なんかおっかしいね、オジさんって。探偵ってもっと渋い職業だ
と思ってたけど、全っ然カッコ良くないんだもの」
とうとう笑い出してしまった。さっきまでの憂鬱な表情はどこへやら、よく通る声を
楽しそうに弾けさせている。
「格好悪くて申し訳ありませんね。と言うか、俺はオジさんじゃない!」
「はいはい。小川さん、でしょ」
藤里は悪戯っぽい笑みを作ってみせた。小さな唇から、並びの良い歯が可愛ら
しくこぼれる。気が付けばいつしか彼女のペースで会話が進んでいた。史郎はく
るくると変化する少女の反応に追いつくのがやっとであった。
「で、君はこんなところで何をしてたんだい?」
突堤の先に一人座り込んでいる少女に、当然の疑問を投げてみる。
「ん〜、別に。ただ海を見ていただけ」
けれども藤里の返事は曖昧だった。
「ふぅん……」
元々理由なんてなかったのかもしれない、史郎はそんな気がしていた。
「ね、小川さんはあたしを連れ戻しに来たんでしょ?」
藤里は仰ぐように頭を傾けて史郎を見上げた。さらりとした髪が流れて、白い肌
の額が大きく露わになった。
「それが仕事だからね」
「もう少しだけ、待っててくれないかな」
懇願を込めた少女の瞳が史郎を凝視した。その澄んだ美しさに、史郎は僅かに
動揺を覚えた。
「何故?」
「理由はないんだけど、何となく、ね。自分の気持ちが落ち着いてから帰りたい
の」
恐らくは初めての家出、初めての親への反抗なのだろう。素直に家に戻るには
抵抗感や照れ臭さがあるのかもしれない。史郎はその藤里の心情を察し、意を
汲んであげようと思った。
「せめて一日。明日には帰るから」
「……分かったよ。君の好きにするといい」
「ホント?ありがとう、小川さん」
優しく答える史郎に、少女は屈託のない笑顔を見せた。根は素直で純真である
ことが、その眩しい笑みから見て取れるような気がした。
「あたし、時々思うの。今の自分って何なのかなって」
足の向くまま散歩を続け、潮風の漂う長い坂道を登っている時であった。陽炎の
立ち上るアスファルトに視線を落としながら歩いていた藤里が、ぽつりと口を開い
た。山の稜線に湧き立つ分厚い雲の形に気を取られていた史郎は、その声で意
識を少女へと戻した。
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