「小川さん、あたしにだけ踊らせるってのはズルいんじゃない?」
悠然と腕組みをして見守っていた史郎だったが、やがて額に汗を浮かべた藤
里が駆け寄ってきてその袖を引っ張った。
「ちょ、ちょっと、俺は踊りなんて……」
突然の誘いに、史郎は本気であせる様子を見せた。視線を走らせた先で老人
達がからからと笑っているのが映って、さては彼等に何か吹き込まれたのかと
察する。
「男なら言い訳はなしでしょ!」
そうハッパをかけながらぐいぐいと腕を引く藤里の表情は、楽しげな笑みに満
ちていた。
 結局史郎はなりゆきで踊りに参加する羽目となった。リズムを取れない彼の
おぼつかない動作に、藤里は「ホントにオジさんね〜」と揶揄した。史郎は赤面
しつつも、しばらく踊りの輪から抜け出せずに回り続けた。それでも少女の晴
れ晴れとした表情に、何やら心が軽やかになるのを覚えた。
「ふぅ〜、疲れた。ひと休みね」
小一時間もたつ頃、二人は手近なベンチに腰掛けた。史郎は今しがた屋台
で買ってきたラムネを藤里に手渡した。氷水で冷やされていたラムネは、ぽ
んという音と共に蓋が開くとたちまち炭酸を溢れさせた。
「ありがと……わ、わっ」
受け取った藤里は、慌ててラムネの瓶に口をつけた。しゅわしゅわと口の中
で炭酸が弾け、少女はその心地よさを噛みしめるように目を閉じた。
「ん〜っ、美味しい!」
藤里の恍惚気味な笑顔を眺めながら、史郎も自分のぶんのラムネを一口飲
んだ。
「楽しいかい?」
「うん、とっても。盆踊りなんてホントに久しぶり」
史郎の問いに、藤里はびっしり汗を浮かべた顔のまま大きく頷いた。セミロン
グの髪をアップにまとめたその横顔に、史郎はかつての懐かしき記憶が重な
って見えるような錯覚を抱いた。同級生だった藤里和美を夏祭りに誘った日
の、あの時の彼女がそこにいるような、そんな悲しい錯覚を……そこまで夢
想して、史郎は自分が眼前の少女に己の幻をダブらせて見ているだけにす
ぎないのではないかという疑問を覚えた。自分がこの町に捜しに来たのは、
一体誰だったのだろうか。家出した女の子ではなく、本当は心の中に抱き続
けていた幻想の少女を追い求めて、この田舎町を訪れたのだとしたら……
そんな疑念が急速に育ち始めた。
 だとすれば、自分は仕事を名目にして裡なる幻想世界への旅をしているに
すぎないのかもしれない。求めてもけして追いつけない、夢の中の少女を捜
す旅へ。それがこの海辺の町へ来た真の理由なのだろうか。史郎の全身を
満たしていた熱気が、俄に冷めてゆく感覚があった。何を自分はうかれてい
たのだろう。こんなのは単なる代償行為ではないか。汗で張り付いたシャツ
に不快感を覚えながら、史郎は隣に座る少女に対して何やら申し訳ない気
持ちになっていた。こんなところまで引っ張り回して、自分の幻想に付き合わ
せてしまったという罪悪感に襲われる。
「どうしたの?」
思考に没頭しぼんやりしていると、藤里が不思議そうに史郎の顔を覗き込ん
できた。虚をつかれて、彼は慌てて頭を上げた。
「え?」
「何か寂しそうな顔してた」
「そんなことないさ」
ごまかすように、史郎はラムネの残りを一気に飲み干した。炭酸で喉がひり
ひりしたが、構わなかった。
「もしかして、あたしと同じ名前の人のこと、思い出していた?」
やはりこの少女は鋭い、そう改めて実感した。こうも見抜かれてしまうとは、
よほど顔に出ているのだろうか。
「違うよ」
それでも表面上は否定してみせる。藤里は尚もそのことに固執した。
「ね、今その人って何してるの?」
「さぁて、卒業してから全然会ってないからな。何してるのやら。もしかすると
結婚でもしたかな」
夜空を仰ぎながら、史郎は少しだけ遠い目をしてうそぶいた。史郎自身、卒
業後の藤里和美の行方を知ろうという欲求は何故か薄かった。もしかすると
現実を知るのが怖かったのかもしれない。

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