「もう少しこの辺をあたってみるか」
史郎は写真を胸ポケットに入れると、再び歩き出した。その様子は夏のバカ
ンスを楽しむ旅行客からは程遠いものに見えた。

 『小川探偵事務所』を一人の婦人が訪れたのは、三日前のことであった。
ブランド品に身を包み、過剰なまでに宝石をあちこちに散りばめたその女性
は、近所ではちょっとした資産家として名が通っており、史郎も直接の面識は
ないものの、その顔は知っていた。
「うちの娘を捜してほしいのです」
婦人は来客用のソファに座るなりそう切り出した。冷えた麦茶の入ったコップ
をテーブルに差し出していた野中健一(のなか けんいち)が、そのあせるよ
うな早口に少しだけ眉を動かした。婦人の対面に腰掛けた史郎も、相手の動
揺ぶりを読み取っていた。
「お恥ずかしい話ですが、実は昨日から家に戻っておりませんの」
「家出、ですか?」
相手の顔色を窺いながらも、史郎は単刀直入に訊いた。
「そんな、うちの子に限って!書き置き一つ残してないんですよ」
婦人は麦茶に口をつける余裕もないようで、しきりにそわそわと組んだ指を
動かしていた。
「では、何等かの事件に巻き込まれたかもしれないと?」
「それが分からないから捜してほしいと言ってるのです」
「警察には届けましたか?」
苛立つ気配を見せる婦人に、史郎の隣で話を聞いていた健一が淡々とした
声で口を挟んだ。
「その、いいえ……ことが公になると、色々と面倒でございましょう?ですか
ら、内密に見つけだしてほしいのです」
痛いところを突かれたとばかりに、婦人は苦笑気味に唇を歪ませた。世間
体を気にしているのは明らかであった。だからこそ探偵を頼ってきたのだろ
う。娘の安否より周囲の目を気にするのかと、史郎は眼前の婦人に少し嫌
悪感を抱いた。
「では、娘さんのいなくなった状況を詳しくお聞かせ願えますか」
だがそんな感慨はおくびにも出さずに、史郎は失踪の経緯を聞き込んでい
った。高校二年生のその娘(こ)は、夏休みに入り二週間は何事もなく生活
していたが、昨日部活に出かけたきり戻ってこないのだという。彼女の友達
に訊いてみても、ごく普通に部活を終えて帰ったという話だった。無論今日
に至るまで、連絡は一切ない。
「なるほど、いきさつは分かりました。で、何か心当たりやきっかけのような
ものは思い当たりませんか?」
「全くございません。うちの子が何の連絡もなしに家を空けるなんて、今まで
一度もなかったことですわ。あんな素直でいい子が家出などと、今でも私に
は信じられません。それだけは絶対にないと申し上げますわ」
何を根拠にそう断言できるのか、史郎は疑問に思う。高校生と言えば様々
な悩みを抱える時期だし、親に隠し事の一つもするだろう。その程度は、子
育て経験のない史郎にも容易に想像ができた。この婦人は我が子を溺愛
しているのではなく、おのが理想の子供像を盲信しているにすぎないのでは
ないか、そんなことを考えずにはいられなかった。
「では、こちらとしても全力を尽くしてみますので」
「費用はいくらかかっても構いません。よろしくお願い致します」
婦人は軽く頭を下げた。耳や首もとに下げられた宝石が、その動作でけば
けばしく輝いた。

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