「さて、どうしたものかな」
思考を現実に引き戻して、進展のない状況に史郎は閉口した。海岸沿いを一
週している間に、陽はまだ高いとはいえ既に西へと傾きつつあった。さきほど
までは元気に波打ち際を駆け回っていた海水浴客達も、そろそろ帰り支度を
始める頃合いのようだった。彼等の何人かにも訊いてみるかと思い立ち、駐
車場へと足を向ける。それで成果が出ないようなら一度旅館へ荷物を置きに
行くかと、史郎はようやく涼しさが滲みだした潮風に浸りながら決断していた。

                     二

 頭上からセミの輪唱が降り注ぐ。ヒグラシが混ざり始めたその声に、夕暮れ
が近づいてきたと史郎は感じた。疲労の積もる重い足取りで小さな商店街を
抜け、細い路地を進んだ町はずれにその旅館はあった。ひなびた民家が立
ち並ぶ集落の南端に佇むその古びた木造家屋は、外観からすると旅館と言
うより民宿と呼ぶほうが妥当そうであった。それでも入り口に掲げられた看板
は『旅館 このは』と書かれていた。史郎はその印象にやや眉をひそめなが
らも、勢い良くガラス張りの引き戸を引いた。
「ごめんください〜。今日の予約を入れていた小川と言いますけど……」
静けさを保つ玄関に史郎の声が響くと、たっぷり一分を要して「はぁい」という
返事と共に女将らしい婦人が廊下の奥から姿を見せた。エプロンを付けたま
ま、いかにも夕食の支度の途中といった雰囲気だった。婦人は板張りの廊下
に膝をつくと、
「お待ちしておりました。さ、どうぞどうぞ」
元気の良い声とは裏腹に、正座して深々と頭を下げた。その物腰に史郎も
少し居住まいを正す。
「無理を言って予約を入れてしまい、申し訳ありません」
急遽この町へ行くことが決まったので、宿泊の手はずもあわただしいもので
あった。午前のうちにこの町の旅館に片端から電話をかけ、ようやく宿が取
れたのがここだった。海水浴シーズンの最中だけに、空きがあっただけでも
幸いと言えよう。
「そんなことないですよ。うちはいつでも歓迎ですから〜」
笑顔を絶やすことなく、婦人はそう言ってくれた。その言葉が史郎には有り
難かった。
「とりあえずあがって下さいな。お部屋に案内しますので」
「はい。お世話になります」
靴を脱ぐと、史郎は婦人のあとに従って廊下を進んだ。年季の入った古め
かしい壁や床板は、まさに民宿と呼べる雰囲気であった。幾つかの戸の前
を過ぎ、茶の間のような部屋に通されると、そこは窓から海が見渡せる眺
めの良い一室だった。よくこんな部屋が空いていたものだと感心する。畳
に荷物を降ろし、あぐらをかいてしばし風景に見入っていると、緑茶と和菓
子が出てきた。
「何もありませんけど、どうぞ」
「「あ、いえ。おかまいなく」
婦人の煎れてくれた茶を啜りながら、史郎は盆に乗った和菓子を一つ手
に取ってみた。この辺りでは有名な菓子処のものであった。その細やかな
心遣いもまた、嬉しいものだった。
「外は暑かったでしょう」
「ええ」
「ご旅行ですか?」
「いえ……」
婦人の差し出した宿帳に名前を記入しながら、
「ちょっと人を捜しに」
と史郎は答えていた。たちまち婦人の表情が固まり、真剣なまなざしにな
る。
「まぁ、どなたを?」
「私の姪なんですけどね。夏休みを利用してこのあたりに旅行に来ている
はずなんですよ。ここ数日連絡が絶えてしまったんで、両親が心配しちゃ
って。私は大丈夫だろうって言ったんですけど、女の子ですから何かあっ
たら大変と、一応様子を見に来たという訳です」

もどる  すすむ