我ながらよくもこう嘘がすらすらと出てくるものだと、史郎は内心苦笑した。探
偵という身分を明かすことなく、あわよくば捜索に協力してもらおうという腹づ
もりであったが、人の良さそうな女将を騙すことに後ろめたい想いがするのも
確かであった。
「そうでしたか」
案の定、婦人は心配そうに眉をしかめた。
「藤里和美って言うんですけど、ご存じありませんか?見た目は高校生ぐらい
の女の子です」
「申し訳ありませんが、存じませんわ。でも、旅館組合のほうに問い合わせて
みれば、あるいは分かるかもしれません」
「では、お願いできますか?」
「はい。かしこまりました」
予想通りの婦人の返事に、史郎は大きく頭を下げた。
 ぱたぱたと婦人が廊下の向こうへ消えると、史郎はしばらく窓からの眺め
を楽しんだ。眼前に広がる太平洋は、早くも夕暮れの朱を映して黄金に輝
いていた。遙か水平線に目をやると、遠く霞む海の果てに心まで吸い込ま
れそうな錯覚にとらわれて、思わず仕事で来ていることを忘れそうになった。
「うん、いい景色だ」
偶然にも良い宿に泊まれたことに一人納得する。開け放した窓の半分には
簾(すだれ)が吊り下げられ、その端では小さなガラス製の風鈴がかすかに
揺れていた。夏の涼感を演出するこの心遣いにも、女将の優しさが籠もって
いると感じられた。
 夕飯までまだ時間があるようなので、史郎は少し町へ出てみようと思い立
った。聞き込みをしつつぶらつけば、少女と遭遇する可能性もなくはない。
「ちょっと出かけてきます」
「いってらっしゃいませ」
靴を履きながら玄関で声をかけると、女将はそう返事してくれた。その言葉
にどこか照れ臭さを覚えながら、史郎は旅館を出た。
 浜辺近くをうろついていた頃に比べると、熱気はかなり和らいでいた。刺す
ようだった日差しも、今は夕映えの心地よさを生み出している。海水浴客で
賑わっていた昼間の喧噪は既に遠く、うちわでも片手に散策すれば夕涼み
を楽しめるのだろうにと、少し残念に思えた。ゆっくりと歩みを進める史郎の
脇を、駅へと急いでいるらしい親子連れが駆け抜けてゆく。幼い子の手を引
いて走る母親の後ろ姿を見つめながら、史郎はその光景に微笑ましさを覚
えて頬を緩ませた。その胸には、幼少の頃に亡くした母のおぼろな面影が
僅かによぎっていた。……そうか、とはたと気付く。さっきの女将の言葉が
むずがゆく感じたのは、遙か過去に失われた家族の温かみをそこに見出
したからなのかもしれない。夕陽に刺激されてどうやら感傷的になっている
ようだと、史郎は一人苦笑しながら商店街へ足を向けるのだった。
 けれども、聞き込みの甲斐なく成果を得ぬままその日は終わりを迎えた。
それでも求めている少女はまだこの町に留まっている、そんな漠然とした確
信を史郎は得ていた。理由はないが、この穏やかな田舎町を見ているとそ
んな気がするのだ。それだけを希望に、史郎はゆっくりと夜の眠りに落ちて
いった。

 翌朝は不思議と自然に目が覚めた。朝が苦手で、普段は昼近くまで惰眠
を貪ることも多い史郎にしては珍しかった。それでも宿泊客の中では充分に
遅いようで、寝癖の頭もそのままに食堂へと降りてみると、朝食の順番は一
番最後であった。
「おはようございます」
朝食の膳を前に史郎が婦人へ挨拶すると、女将は嬉しそうににこにことしな
がら頭を下げた。
「おはようございます。小川さん、姪御さんらしい人が泊まっているって組合
のほうから連絡がありましたよ」
「本当ですか!」
「ええ。高校生か大学生くらいの女の子が一人、三日ほど前から泊まってい
るそうです」
ご飯とみそ汁を差し出しながら、婦人はそう説明した。史郎は心底安堵した
という表情を作ってみせた。
「そうですか。ありがとうございます」
急ぎがちに朝食を胃に収めると、史郎はさっそく教えられた旅館へと向かっ
た。今日も朝から快晴で、早くも顔や腕が強い日差しで痛かった。

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