全身の痛みも忘れて、アザスは呆然とした。痺れたように痙攣して動けない野
犬の中心で、燐香だけが一人片膝で立っていた。それもすぐに糸が切れたか
のように、ぷっつりと脱力して少女は倒れ込んだ。
「燐香!」
急いで駆け寄り、アザスは燐香を抱き起こした。どこかぼんやりとした瞳で、少
女は頼りなく呟いた。
「……噛みつかれたところから……漏電させたの……」
それで野犬どもが感電して動けなくなったということらしい。直前に彼を群れか
ら放ったのも、燐香によるものだったのだろう。だが、彼女自身の身体は?そ
う考えるが早いか、燐香は弱々しく瞳を閉じてしまった。
「おい……燐香!燐香!」
アザスの心が言い知れぬ不安に満たされてゆく。かつて味わったことのない動
揺に包まれながら、彼はただ為す術もなく少女の名を呼び続けることしかでき
なかった。
六
すっかり短くなったキャンドルの頂で弱々しい火がちろちろと揺れていた。夜
の帳が降りてからどれくらいの時間が経過したのか、アザスにはまるで分から
なかった。ただ言えるのは、彼の周囲を包む闇はそのまま心深くまで支配し、
朝になろうともけして光をもたらさないだろうということ。目の前で痛々しく横に
なっている少女が快復しない限りは。生命を持たぬ彼女なれば、自然の治癒
力を期待するのは不可能だった。全身の傷から漏れ出していた血液のような
液体はかろうじて止めたものの、根本的にアンドロイドに関する知識が乏しい
身ではそれ以上の修理はできそうもなかった。そして現時点で少女の意識が
戻らないということは、生物で言うところの『死』と同義にあると言えた。
「だから……だから逃げろと……」
何故こうも自分が暗澹としているのか、それすら判然としないままアザスはた
だ身動きもしない少女を見つめた。その傍らでは彼女のお気に入りだった日
傘が無惨な姿となって横たわっていた。主の喪失と共にその役目を終えたか
のごとくに。
「自己犠牲なんて、誰も頼んでやしない……なのに……」
口から出てくるのは愚痴にも等しい罵倒。けれども、その口調は怒りではなく
どこまでも悲しみに満ちていた。
「……相変わらず……」
「……!」
ふいに囁くようなか細い声が耳に流れ込んできた。虚ろだった瞳を見開き、ア
ザスは食い入るように顔を近付けて少女を注視した。
「……冷たいんだから……」
それは間違いなく燐香の口から発せられていた。僅かだが目を開け、彼を見
つめ返している。その事実に驚きを隠せないまま、アザスは少女の名を呼ん
だ。
「燐香!」
「随分と怪我してるけど……大丈夫?」
「それはこっちの台詞だ。大丈夫なのか?」
指摘されるまで、アザスは自分の傷のことを失念していた。麻痺してしまって
いるのか、不思議と痛みは薄い気がした。
「……ううん……ちょっと無理かも……」
彼の問いに、少女は僅かに瞳を逸らした。
「今までオートセイフティモードで外部とのアクセスを遮断して身体的欠損をチ
ェックしていたんだけど……さすがにもう限界みたい……」
「限界って……壊れたところなら修理すれぱ……」
「ううん、そういうことじゃないの……実はね……あたし、もうエネルギーが残り
少なかったの……それで、犬たちを追い払うのにその残りを使っちゃったから
……」
「そんなの、補充すればいいじゃないか。どういう形式の燃料なんだ?」
これまで食事とは無縁だっただけに、燐香の動力源を気にすることは殆どな
かった。だが改めて言われると確かに活動している以上エネルギーは必要な
はずだった。ならば、要はその補給をすれば済むはずである。
もどる すすむ