「さあな……単に俺も燐香の家を見たくなった、それだけだろうさ」
自分自身その理由を知らず、ただ衝動的に燐香を家まで連れていこうと思い
立っていた。
「で、お前の家は?」
「あ……うん……イーストキャピタルタウンの……」
途切れ途切れに住所を言い終わると、燐香はぽつりと弱々しく、けれども嬉し
さに満ちた声で呟いた。
「ホント……自分勝手なんだから……けど……ありがとう」
それきり、背中の少女は反応しなくなった。不安に囚われつつも、彼女は眠っ
ているだけだと信じてアザスは立ち上がった。
 廃屋を出ると、空には星々の瞬きがあった。月の光は淡かったが、夜道を歩
くのに問題はなかった。
「……よし!」
短く息を吐いて、アザスは歩みを開始した。機械が詰まっているはずの少女の
身体は何故か軽く、熱気を孕む夜気の中でも不思議と負担には感じなかった。

 暗い足許に時々バランスを崩しそうになりながらも、とにかくアザスは一心に
南へと歩いた。自ら生み出す振動に時折思い出したかのように傷が痛んだが、
それが歩行の妨げとなることはなかった。そんなことは少女を家まで連れてゆ
くという目的に比べれば些細な問題でしかない、そういう感覚があった。だがそ
の一方で、一人黙々と夜のさなかにこうしている自分をどこか訝る気持ちがあ
るのも確かであった。何故自分はこんなことを申し出たのか、その明確な答え
がどうにも見つからなかった。自分のことなのに分からない、その奇妙さがか
えってアザスには新鮮だった。我が身ですらそうなのだから、ましてや他人の
ことなど理解できるはずもない。言葉というフィルターを通して一見コミニュケー
ションを計っているようには感じるけれども、その実どれだけ自分の意思が、そ
して相手の意思が通じているかなど怪しいものだった。燐香との数日間の旅の
中で、アザスはそのことを実感していた。
 ならば、そんな理解不能な他人をどうして今自分はこうして背負っているのだ
ろう。疑問は再びそこに舞い戻る。これまでずっと一人で生きてきて、他者のこ
となど気にかけたこともないというのに。常に他者と一定の距離を保つことで自
分の身は守られ続けてきた。ならばこれからもそうしてゆけば良い。それなの
にこの状況ときたら、まるで今までの自分とは結び付かない、およそ似つかわ
しくないものだった。単なる気紛れ、そう片付けてしまえば簡単だ。少女の身の
上話に興味を抱き、彼女の家とやらを一目見てみたい、それだけのことなのか
もしれない。しかし、それなら少女が傷付き眼を開けなかった時どうしてあんな
にも焦燥感にかられたのか。今度はその必然性が見付からなかった。同情、
憐憫、もっともらしい単語は幾つか思い浮かぶ。けれども確実に適切な言葉は
そこに含まれていないと思えた。愛……?いや、それは人間たちの生み出した
共同幻想にすぎない。遺伝子に刻まれた種の保存のプログラムが与えた、種
族維持の為の本能を拡大解釈したものにすぎないはずだ。それはあくまで人間
たちの間に築かれたルールでしかなく、亜人種たる自分には無縁である。しか
も相手は同族でも、ましてや生命体でもない。たとえ元は人間であったとしても、
だ。そんないびつな存在に情愛の念を抱くことなどありえないはずである。だが、
しかし……この気持ちは、この不安は何なのだろう。虫たちの音色を音楽にた
だ足を動かし続けながら、アザスは自らの行為の意味付けに明確な答えを見
出せずにいた。
 やがて東の空が白み始めた。遠く山の稜線が空と大地の区分を明確に分け
るようになり、闇に没していた地に光が滲みだした。
 その様子に魅せられたかのようにアザスはふと足を止めた。眼前に続く先は
雑草の生い茂った遙かな道。見渡せば平原を囲むように居並ぶ大小の山々。
その中にあって、自分は一人、いや正確には二人きり、こうして光の恩恵を全
身に受けている。
 眩しい朝陽が顔を出し、アザスたちを照らした。そのどこまでも白く清冽な輝
きに、彼は祈るような感慨を胸に覚えた。

もどる  すすむ