「しかし……それでも……」
不安、逡巡、戸惑い、そして願い。短くも長い葛藤を繰り返してアザスは燃料電
池の交換を決意した。静物と化した燐香の傍らに膝を折り、その柔らかな身体
に指を添える。
燃料電池を交換するには電池がセットされている箇所を探す必要があり、その
為には少女の衣服を開かなければならなかった。その必然性に、アザスの額に
ねっとりとした汗が浮かぶ。少女の服に手をかけ、脱がすことに対し言い様のな
い背徳感があった。何故これほどまでに動揺しているのか、かえってそれが彼
にはおかしかった。相手は同種族ではない。ましてや、生命を持たぬ機械の身
体だ。なのに、確かに今自分を苛む衝動は異性に対するそれとあまりに酷似し
ていた。それは滑稽でありナンセンスだ、とアザスは内心自嘲した。暑さで感情
が狂ったとしか思えない。これまで遭遇したことのない異常事態に理性の均衡
を失っているだけ、それだけだと何度も自分に言い聞かせる。それでも下着に
包まれた小降りな膨らみを帯びる少女の胸が露わになった時、アザスはとっさ
に目を背けていた。後ろめたさと惹き付けられてやまない欲望の交錯、その狭
間で揺れながら、かろうじて少女のみぞおちあたりに電池の交換箇所があるこ
とを確認する。気が付くと陶磁のような白くきめ細やかな肌に、野犬に襲われた
時の痛々しい傷が幾つも見てとれた。そのことで冷静さを取り戻しつつ、アザス
は不規則に震える指でかろうじて電池の交換を済ませた。その時にはもう、衝
動的な興奮は霧散していた。代わりに訪れたのはどうしようもない焦燥感だっ
た。正直結果を知るのが怖い、それが今の本音であった。全く、今日の自分は
どうかしている。こんなにも感情を制御できず、理性も役に立たず、冷静さが無
用の長物になってしまっているとは。この瞬間の自分は本当に自分なのか、そ
んな馬鹿げた疑問すら浮かんできそうだと思った。そんなあやふやな自己を持
て余しながら、それでもこうやって少女の目覚めを期待している、それもまた自
分の偽らざる姿であるのも確かだった。
あせりで満足に言うことをきかない指をかろうじて動かしながらなんとか少女
の上着を元に戻していると、微かにその身体に反応があった気がした。反射的
に手を止め、その顔を凝視する。表情の消えた、文字通り人形そのものの瞳
や唇。そこに生命の鼓動はなかったが、何かが、そう、機械的、電気的とも言
うべき何かが通い始めたのが直感的に読み取れた。
「燐……香?」
何度も呼んだ名前。さっきまでは繰り返しても返事のなかった名前。でも、その
呼びかけにゆっくりとだが確かな反応が、今そこに……アザスの注視する中、
少女は再び瞳を開いた。
恐らくは複雑な表情をしているであろうアザスをぼんやりとした様子で見つめ
て、燐香は穏やかな声を発した。
「……おはよう」
「俺が……分かるのか?」
彼の問いに、少女は僅かに頷いてみせた。次いで自分の状況を確認するよう
にゆっくり視線を巡らすと、燐香は微笑を見せた。
「アザスって……意外とエッチだったんだね」
思えば彼女の服を整えるのは途中で止まったままだった。半分露出している
胸元を手で隠す少女の仕草に、アザスはやましいことをしていないにもかかわ
らず慌てたように横を向いた。
「そんなのじゃない……」
「分かってるよ……ありがとう」
「それ、二日前にも聞いたな」
「うん……けど何度でも言いたいの。本当に、ありがとう」
「……ああ」
燐香の言葉が今はとても嬉しく感じられて、アザスは照れを隠そうと黄昏を映
す窓の外へと頷きを返した。
八
「ここが……私の家……」
胸元を整え起き上がった燐香は、懐かしくも新しい景色に触れるかのようにあ
たりを見回した。
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