「別に謝らなくてもいいってば」
燐香は屈託なく笑うと、おどけるように両手を広げてみせた。気にするなと伝え
たいのかもしれない。
「で、何の話だっけ?」
改めて燐香が話題を戻した。けれども、アザスの中で少女に対する問いはもう
消えていた。彼女の反応は理屈ではないのだ。たぶん人間に限りなく近いそれ、
情動とも呼ぶべき何かが備わっているのだろう。
「いや、もういいんだ」
「えーっ、なんか気になるよぉ」
燐香は不満げに肩をぶつけてきたが、アザスは苦笑してごまかすだけだった。

 陽は長くとも、地平に沈めば闇の訪れは急速だった。星々の瞬きと欠けた月
の明かりを頼りに、アザスたちは崩れかけた家の一つをその日の休息場所に
選んだ。
「やはり電気は死んでいるか」
配線を調べていたアザスが呟く。その声に、居間らしき部屋の古びたソファに
寝そべったまま燐香が尋ねた。
「何か明かりがつくもの持ってないの?」
「ま、こんなものなら」
アザスは腰に吊した袋から細いキャンドルを取り出すと、慣れた手つきで床に
固定して火を点した。
「へぇ、お洒落なの持ってるじゃない」
そのゆらめく炎に、燐香が歓声を上げた。手を伸ばして包むような仕草をして
みせる。
「夜はそれほど目がいい訳じゃないからな。ライトの類は必要だ」
「それでも、電気的な光とはまた違う雰囲気があるよ」
「そういうものか?」
アザスとしては必要性があるから持ち歩いているだけなのだが、燐香は別の
意味を見出しているらしかった。
「まぁ人間たちは特別な状況の時意図的に電気ではなくキャンドルを使って光
を発生させていたらしいが」
「バースディパーティとかね」
「バースディ?……ああ、彼等は誕生した日を祝うという習慣があったみたい
だな」
「亜人種はしないの?そういうこと」
「しないな」
「どうして?」
「さぁ、別に必要と思ったこともないけど」
「ふぅん、そんなものなんだ」
途端に興味を失ったように、少女の声が弱まった。
「燐香は気になるのか、自分の製造年月日が」
「……どうだろう」
答えるのに少し間があった。その一瞬の沈黙の理由をアザスは読み取れなか
った。
「そう言えば燐香は稼働して何年になるんだ?もしかして人間と共に生活してい
たことがあるんじゃないのか?」
「人間たちの間ではレディに年齢を訊くのは失礼だったのよ」
茶化すように燐香は小さな苦笑を示した。
「おっと、これは失言」
別に人間的に振る舞う必然性はなかったが、アザスはどこかで人間を意識した
言動をする傾向があった。それを自分なりに風情であると思っているのは確か
だろう。
 空腹を覚えて、アザスは途中入手していた密封保存食を口にした。これもま
た人間の残した遺物である。パックに破損さえなければ、百年の刻(とき)を過
ぎた今でも食すのに問題はなかった。
 そう言えば、と浮かんだ疑問をアザスはあえて飲み込んだ。燐香のエネルギ
ー補給についてだったのだが、彼女をレディと見なすのならばそれを問うのは
控えるべきかと思ったのだ。
「美味しい?」
「それほどでも」
食事中の会話はいたって簡素だった。
 さして味のしない保存食を胃に収めると、アザスは横になった。キャンドルの
炎に見とれている燐香をよそに、そのまま目を閉じる。
「あれ、もう寝るの?」

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